高野甲子雄の現在?wiki風経歴・プロフィール

災害現場の最前線で人命救助に携わり、退官後も防災教育の第一人者として活躍を続ける高野甲子雄(たかの きねお)さん。1982年のホテルニュージャパン火災では、自らの命を顧みず多くの命を救った英雄として知られています。

現在は防災士として、その豊富な経験と知識を活かし、次世代への防災教育に尽力しています。

本記事では、高野さんのプロフィール、経歴を振り返りつつ、現在の活動、そして災害救助のプロフェッショナルとしての姿勢を詳しく紹介していきます。

この記事でわかること
  • 高野甲子雄さんのプロフィール
  • 高野甲子雄さんの経歴
  • 消防を志すきっかけ
  • ホテルニュージャパン火災とは
  • 現在の活動

ホテルニュージャパン火災での英雄消防士、高野甲子雄(たかの きねお)さんについて興味のある方は、是非ご覧ください。

目次

高野甲子雄さんのプロフィール

  • 生年:1948年
  • 年齢:76歳(2024年現在)
  • 出身:山梨県甲府市生まれ
  • キャリア:1968年 東京消防庁入庁
         2009年 小金井消防署長として退官
         現在 原子力安全研究協会/放射線災害医療研究所副所長

20歳という若さで消防官の道を選んだ高野さん。その決断の背景には、人の命を守りたいという強い使命感がありました。入庁後、特別救助隊(通称:オレンジ)に配属されることになる高野氏は、数々の危険な現場で人命救助にあたります。

高野甲子雄さんの経歴

受賞歴

  • 消防総監賞
  • 東京都知事賞
  • 消防庁官賞
  • 総理大臣賞(部隊賞)
  • 都民の消防官賞

これらの賞は、1982年のホテルニュージャパン火災での功績によるもの。しかし、高野さんにとってこれらの勲章は、決して誇りとはなりませんでした。

火災後、横井オーナーから送られてきた口止め料を突っぱねた姿からも分かるように、彼にとって最も重要だったのは、救えなかった命への思いだったのです。

主な災害救助活動

  • 1982年 ホテルニュージャパン火災

    死者33名、負傷者34名を出した大規模火災。麹町消防署永田町特別救助隊長として最前線で指揮を執りました。

    この火災で特筆すべきは、マニュアル外の救助手法を決断した高野氏の判断力です。9階での救助活動中、2度のフラッシュオーバーに遭遇しながらも、要救助者を守り抜く姿勢は、後の消防活動の模範となりました。
  • 1995年 阪神淡路大震災での支援活動

    都市直下型地震という未曽有の災害に、ボランティアとして参加。

    現場では、倒壊家屋からの救出活動の多くが近隣住民によって行われていた実態を目の当たりにします。この経験が「地域防災力の向上」という、その後の活動テーマにつながっていきました。
  • 2011年 東日本大震災での活動(退官後)

    発災3日後に福島県入り。スクリーニングチームリーダーとして約1年半活動。

    放射線という目に見えない危険と向き合う中、全国から集まったスクリーニングチームを統括。住民の不安解消に向けて、正確な情報提供と丁寧な説明を心がけました。
    この経験は、現在の原子力安全研究協会での活動にも活かされています。
  • 2014年 広島土砂災害(退官後)

    突発的な土砂災害現場での支援活動。

    地域の地形特性に応じた避難計画の重要性を再認識する契機となりました。
  • 2015年 茨城北条の竜巻災害、常総市の水害(退官後)

    異なる性質を持つ二つの災害に連続して対応。

    特に常総市の水害では、避難の遅れが被害を拡大させた教訓から、早期避難の重要性を訴える活動につながっていきます。

これらの災害現場での経験を通じて、高野さんは一貫して「人命第一」の姿勢を貫いてきました。しかし、単に人命を救助するだけでなく、その経験を次の災害に活かし、さらに多くの命を救うための教育活動にも尽力。

各災害での経験は、その後の防災教育プログラムの中で、具体的な事例として活用されています。

消防を志すきっかけ

若くして消防官を志した高野さんですが、その決断の裏には、幼少期の経験が影響していました。山梨で過ごした少年時代、地域の消防団の活動を間近で見る機会が多くあり、その献身的な姿に深く感銘を受けたといいます。

「人の命を救うということは、その人だけでなく、家族や友人など、多くの人の人生を救うことになる」

この言葉は、高野さんが常々口にする言葉です。この信念は、後の防災教育活動にも大きな影響を与えることになります。

ホテルニュージャパン火災とは

火災の概要

  • 発生日時:1982年2月8日 午前3時24分
  • 被害  :死者33名、負傷者34名
  • 消防動員:消防車両123台、ヘリコプター2機、消防職員・団員649人

当時、麹町消防署永田町特別救助隊長だった高野さんは、現場に最初に到着した消防官の一人です。国会の横を抜けて現場に向かう途中、建物から立ち上る炎を目の当たりにした時の様子を、高野さんは今でも鮮明に覚えているといいます。

救助活動の実態

午前3時39分、第一報を受けて現場に向かった高野さん。

異様な熱と明るさに言葉を失う隊員たちに「落ち着け」と声をかけながらも、目の前で次々と飛び降りていく人々を目にした時の背筋の冷たさは、消防官として最も辛い経験の一つとなりました。

現場到着後、高野氏はすぐさま9階への最短ルートを守衛に確認。社長の確認を求める守衛に対し「そんな余裕はない」と即断する判断力は、まさに現場指揮官。

しかし、熱で膨張した非常口のドアは開かず、即座に屋上へのルート変更を決断することになります。

9階での救助活動は、マニュアルでは禁止されていた窓からの素手での救助を決断。屋上の防火水槽を利用した援護注水を行いながら、4名の命を救出することに成功します。

その過程で、救助隊員の浅見氏の酸素ボンベ警告音が鳴り響くという緊迫した場面もありました。

最も危険な状況に直面したのは、10階での救助活動でした。

要救助者を発見した際、すでにフラッシュオーバー発生の危険が迫っていました。「誰か行くか?」という問いに、浅見隊員が一歩前に。しかし、ロープの結び目が不完全との報告を受け、高野氏は自ら再度の救助に向かう決断を下します。

その結果、2度のフラッシュオーバーに遭遇。要救助者を自身の体で守りながら、命綱での緊急引き上げによってかろうじて脱出することができました。

この救助活動で全身に大火傷を負いながらも、高野氏は最後まで人命救助を優先。

この「可能性がある以上、見捨てることはできない」という信念は、後の消防活動における一つの指針となっていきます。

火災の教訓

  • 防火設備の不備(ダミーのスプリンクラー)
  • 初期対応の遅れ(通報の遅延)
  • 建物構造の問題(可燃性内装材の使用)
  • 防災訓練の未実施

火災後、オーナーから送られてきた口止め料(賄賂)を「何人の人が命を失ったと思っているんだ!」と激昂して突っぱねた高野さん。

この姿勢は、人命を最優先する消防活動の本質を体現するものであり、この経験は、後の防火設備の重要性の訴求や、人命尊重の精神の伝承につながっていくことになります。

これまでの活動

退官前

  • 中学生防災トライアスリート事業の立ち上げ
  • 各消防署での防災教育プログラムの展開
  • 高齢化社会に向けた防災対策の推進

特筆すべきは、高野さんが牛込消防署警防課長時代に始めた「中学生を防災の担い手として育成する」取り組みです。この革新的な発想は、当時としては画期的なものでした。

なぜ中学生なのか—— それは、大規模災害時に地域の重要なマンパワーとなり得る存在だと考えたからです。

この取り組みは、後に「中学生防災トライアスリート」として千住、城東、滝野川、小金井の各消防署で展開されていきます。特に小金井では、市内全中学校での活動が定着するまでに発展しました。

退官後の活動

  • 防災教育指導
  • 災害ボランティア活動
  • 放射線災害対策 ・講演活動

2009年の退官後、高野さんは防災教育の第一人者として精力的に活動を展開。特に、東日本大震災後の活動は注目に値します。発災直後から福島に入り、放射線という目に見えない危険と向き合う中で、住民の不安に寄り添い続けた経験は、現在の活動の重要な基盤となっています。

高野さんの教育活動で特筆すべきは、その実践的なアプローチ。40年以上の現場経験から得た知識を、一般市民でも実行可能な形に噛み砕いて伝える手法は、多くの受講者から高い評価を得ています。

現在の活動

  • 防災士としての指導
  • 災害ボランティアセフティーリーダー
  • 各種講演活動

かつて第一線で活躍した消防レスキューの経験を活かし、現在は幅広い層への防災教育に力を入れています。

「誰もが防災の担い手になれる」という信念のもと、それぞれの立場や能力に応じた防災教育プログラムを展開。特に力を入れているのが、実践的な「救助方法」と「防災力を身につける方法」の指導です。

単なる知識の伝達ではなく、実際の災害時に活かせるスキルの習得を重視する姿勢は、高野さんならではのものといえるでしょう。

まとめ

40年以上にわたり、災害救助と防災教育の最前線で活躍してきた高野甲子雄さん。ホテルニュージャパン火災での英雄的な活動は、日本の防災体制の改善に大きな影響を与えました。

現在も第一線で活動を続け、その経験と知識を次世代に伝える取り組みを精力的に行っています。高野氏の活動は、単なる技術の伝承にとどまらず、「人の命を守る」という消防の本質的な価値を、社会全体に広めていく重要な役割を果たしています。

災害大国日本において、高野氏の実践的な防災教育の取り組みは、今後ますます重要性を増していくことでしょう。

その活動は、より多くの命を救うための貴重な財産として、次世代に引き継がれていくに違いありません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

管理人の0107(オトナ)です。

これまでの経歴
・営業・マーケティングの仕事歴30年
・海外での生活10年
・人間心理のエキスパート

自分を支えてきたあらゆる物・人への好奇心。そのアンテナに引っかかった情報を、斜め上からの視点、オトナの視点でまとめて行きたいと考えています。

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