地球を「最高の芸術家」と称し、その美しさを写真に収め続ける写真家・野村哲也さん。150カ国以上を旅し、極地から秘境まで、人の手が入っていない大自然の姿を追い求めるその作品は、教科書にも採用されるほどの評価を獲得。
「人間よりも地球が好き」と語る彼の写真が映し出す、人智を超えた圧倒的な自然の力強さと美しさは多くの人々の心を打ちます。
本記事では、そんな野村哲也さんのプロフィール、経歴を振り返りつつ、彼の写真が持つ魅力の秘密に迫りたい思います。
- 野村哲也さんのプロフィール
- 野村哲也さんの家族構成
- 野村哲也さんの経歴
- 星野道夫との運命的な出会い
- 自然と共に「生きる」写真家・野村哲也
- 今後の予定
☆野村哲也先生☆
— 諏訪幼稚園 (@suwagakuenn) December 1, 2024
年中では、ペンギンの話
年長では、アラスカの話を
聞かせてくれた写真家野村哲也先生。
本読みノートのにじの写真
辞書引きノートの花の写真も
撮られています。
本日クレイジージャーニー(TBS)に
出演されます。
特別番組のためいつもの時間と違い
8時55分からです。 pic.twitter.com/1ML6SnQVsL
熱狂の写真家、野村哲也さんについて興味のある方は、是非ご覧ください。
野村哲也さんのプロフィール
- 生年:1974年
- 年齢:50歳(2024年時点)
- 出身:岐阜県岐阜市
- 大学:中部大学大学院工学研究科修了(1998年)
- 拠点:チリのパタゴニアを拠点に世界各地を撮影
幼少期から旅に魅了されていた野村さんは、10歳という異例の若さで一人旅を始めます。高校時代までには山岳風景や野生動物の撮影にも没頭するようになり、その後の写真家としての道を徐々に形成。
20代、30代の頃は「写真家とは、ただひたすらシャッターチャンスを待つ存在だ」と固定観念を持っていた野村さん。
- 若い頃の固定観念
「写真家はシャッターチャンスをただ待つ存在」という思い込み
旅行者として訪れる場所での撮影
自然を「撮る対象」としてのみ見る
その固定観念から解き放たれるまでには長い時間を要すことになります。
野村哲也さんの家族構成
- 出会い:2003年3月 野村さんの講演会
- 入籍 :2007年クリスマスイブ
- 挙式 :2007年5月26日、北海道二ドムのチャペル
- 妻 :明子さん(産婦人科医)
- 子供 :非公開
世界を旅する写真家と、命を見守る医師。一見、まったく異なる道を歩む二人の出会いは、2003年3月にまで遡ります。
野村さんの講演会に参加した明子さんは、自然の神秘を伝える彼の言葉に深く心を動かされました。写真を通じて地球の息吹を伝えようとする野村と、医師として命に向き合う明子さん。異なる視点から「生命」を見つめる二人は、しだいに強く惹かれ合っていきました。
出会いから4年後の2007年、二人は結婚を決意。クリスマスイブという記念日に入籍し、その約5ヶ月後、北海道二ドムのチャペルでの結婚式を挙げました。
式では、明子さんの「わたしが哲也を生涯守ります!」という力強い宣言が、会場全体を笑いと温かな雰囲気で包みました。また、野村さんの「自分で子供を産むこと」という突飛な夢に対し、明子さんが「哲也の帝王切開執刀医になる」と返すなど、微笑ましいエピソードも二人の間にはたくさん。
子供については、公開されている情報からは確認できません。世界各地を転々とする野村さんだけに、子供を持つことよりも、それぞれの道を究めることに重きを置いているのかも?
結婚後、野村さんは2007年末からパタゴニアでの生活を開始。その後も2年ごとに住処を変えながら、世界各地で撮影活動を続けています。
一般的な夫婦生活とは異なる道を選んだ二人ですが、それぞれの方法で「命」と向き合い、支え合いながら歩んでいます。
明子さんは産婦人科医として新しい命の誕生に立ち会い、野村は写真家として地球の生命力を記録する。互いの仕事を理解し、尊重し合う二人の関係は、現代の夫婦のあり方として素敵に見えます。
野村哲也さんの経歴
- 1994年:20歳で写真家・星野道夫との運命的な出会い
- 1998年:中部大学大学院工学研究科修了後、写真家として活動開始
- 1999年:野村哲也写真事務所を設立
- 2007年:パタゴニアへ移住
- 2017年:ナショナル・ジオグラフィック・フォトコンテスト世界第2位
写真家・野村哲也が20歳の時に出会った星野道夫。この出会いは、単なる写真家同士の出会い以上の意味を持っていました。
16:30-
— The Dave Fromm Show (@DFS897) August 9, 2019
嘉衛門 Presents 「The Road」
今週と来週は “地球の息吹”をテーマに、⁰北極圏、南米、南極などに被写体を追い求め続ける⁰写真家・野村哲也さんをお招きしてお話伺ってまいります!#radiko #interfm897 #dfs897 pic.twitter.com/cf5MG956Ti
星野道夫との運命的な出会い
- 1994年~1996年
20歳の野村さんと41歳の星野さんが出会う
星野さんのカムチャツカでの事故死まで2年間の交流
「あれ以上の背中の大きい人を見たことがない」と野村は振り返る
若き日の野村さんは、写真家とは「ただシャッターチャンスを待つ存在」だと思い込んでいました。しかし星野との出会いは、その固定観念を根底から覆すことになります。
星野から学んだ三つの真実
星野道夫が野村さんに教えてくれたのは、写真家としての三つの重要な真実でした。
- 写真家は待つだけの存在ではない
自然の中で共に生き、その営みの一部となることで初めて見えてくるものがある - 場所に根を下ろすことの大切さ
観光客として訪れるだけでは決して撮れない写真がある
その土地に暮らし、自然と向き合う時間を持つことの重要性 - カメラマンを超えた存在であること
単に美しい風景を切り取るのではなく、自然の証言者として存在すること
この学びは、後の野村さんの人生に決定的な影響を与えます。
写真家としての転換点
パタゴニアへの移住、2年ごとに住処を変えながらの撮影スタイル、観光地を避け人知れない自然を追い求める姿勢。これらはすべて、星野から学んだ「写真家の本質」を追求した結果。
「40代になって、ようやく分かってきました。自然が私に必要なものを見せてくれる。それは星野さんが体現していた写真家としての在り方だったのです」
ここでようやく、若い頃の固定観念から解放されます。
このように、星野道夫という存在は、野村さんにとって写真技術の師以上の意味を持っていました。それは写真家としての生き方、自然との向き合い方の指針を示してくれた人生の師。その教えは今も、野村さんの写真活動の根底に脈々と息づいているのです。
自然と共に「生きる」写真家・野村哲也
2007年、野村さんは大きな決断をします。「旅行で訪れる」のではなく、「そこ=パタゴニアに住む」という選択。
そして、この移住生活の中で、野村さんは驚くべき変化を経験します。それまでカメラを構えて自然と対峙していた関係が、徐々に変化。「自然との境界線が消えていく」という表現で、野村さんはこの体験を説明しています。
具体的には:
- 無意識の中で写真が生まれるようになった
- 様々な偶然や奇跡との出会いが増えていった
- 自然が最良のタイミングで被写体を見せてくれるようになった
これは単なる撮影技術の向上ではなく、その土地に根を下ろし、日々の暮らしの中で自然と向き合う中で、野村さんの中で大きな意識の変容が起きていったのです。
「30代、40代になり、僕にとって最良の状態、必要なものを見せてくれるのが『自然』なのだと教わりました」
この言葉には、それまでの「待つ」写真家から、自然と共に「生きる」写真家への転換が象徴的に表れています。
シャッターチャンスを待つのではなく、自然の一部となって写真を撮る。この気づきは、パタゴニアという地で暮らし、その土地の息づかいを感じ続けた経験から生まれたもの。
そして、この変化は、その後の撮影スタイルにも大きな影響を与えます。
2年ごとに住処を変えながら撮影を続けるという独自のスタイルの確立につながり、南アフリカや復活祭島など、様々な地域での長期滞在撮影へ取り組むきっかけとなりました。
「地球は最高の芸術家だ」という野村さんの言葉の背景には、このような深い意識変革の過程が存在。今や彼は、カメラを通して自然を切り取るのではなく、自然の営みの中に身を置き、その証言者として写真を撮る存在となっているのです。
今後の予定
- 47都道府県の「世界に誇れる場所」を紹介する新書を執筆中
- 定期的な「ディープツアー」の開催を継続
- 縄文遺跡を通じた日本人のルーツの探求
- 世界193カ国踏破への挑戦を継続
「日本の各地には、必ず世界に誇れるものが一つはある」—— 野村さんのこの確信は、長年の撮影経験から生まれました。現在執筆中の新書では、観光ガイドブックには載っていないような場所を中心に、日本の隠れた魅力を紹介しようと計画しています。
定期的に開催している「ディープツアー」も、野村さんの写真哲学が色濃く反映された企画。例えば、屋久島ツアーでは敢えて縄文杉には行きません。代わりに、人々の知らない、しかし縄文杉に勝るとも劣らない別の巨木に案内します。
そして、高知では日本最大の磐座を訪れ、北海道ではモモンガの生息地を巡る。
これらは単なる珍しい場所を見せるためではなく、まっさらな心で自然と向き合い、純粋な感動を体験してほしいという野村の願いが込められているのです。
そして、最も野村さんの心を捉えているのが、縄文文化への探求です。
「八百万の神々を認める日本人の精神性は、実は縄文時代から続いているものなんです」。自然と共生していた縄文人の暮らしの中に、現代日本人のアイデンティティのルーツを見出そうとしています。
人々が忘れかけている「感動する力」を取り戻すこと。それが野村さんの次なる使命のように見えます。「コロナ禍で、人々は笑いと感動を失ってしまった」と野村さんは危惧します。
だからこそ、「思いっきり感動しようぜ!感動させる場には自分が連れてったるから!」と、力強く宣言するのです。
これらの活動の先に野村さんが見据えているのは、おそらく「地球は最高の芸術家だ」という彼の信念を、より多くの人々と分かち合うことなのでしょう。その証人として、野村さんの旅はまだまだ続いていきます。
霊能写真家、野村哲也に7/31に再会して以来、
— まずは、日本が大事!そして、あなたの健康! (@prophet_eagle) August 5, 2021
彼のことが頭から離れない!
彼は土偶を撮る前に祈りを捧げ、
土偶と話をする。
旅立つ前にお逢いできて、本当に良かった! pic.twitter.com/v3CMbgIjxT
まとめ
世界193カ国の踏破を目指す野村哲也さん。その眼差しの先には、常に人智を超えた地球の営みがあります。
「感動してもらえば、その先の学びは自然とついてくる」という彼の言葉には、写真家としての経験に基づいた信念が込められているはず。
技術や知識以上に大切なのは、対象への純粋な感動であり、それを共有する喜び。野村哲也さんが切り取り続ける「地球という最高の芸術家」の作品は、私たちにとって新たな気づき、そして感動となり続けることでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。