久保田悟の経歴・プロフィール!年収・家族は?【サーカス】

半世紀にわたってサーカスの世界を見つめ続けてきた男、『クレイジージャーニー』での出演で注目を集める久保田悟さん。

世界中を飛び回り、サーカスパフォーマーの逸材を発掘する姿に、多くの視聴者が魅了。しかし、それは彼の人生の一つの側面に過ぎません。

今回は、そんな久保田悟さんのプロフィールと経歴、そして年収や家族まで、日本のサーカス界を支え続けてきた後姿に迫ります。

この記事でわかること
  • 久保田悟さんのプロフィール
  • 久保田悟さんの家族構成
  • 久保田悟さんの経歴
  • 久保田悟さん・団員の年収
  • 今後の活動

ポップサーカス団長、久保田悟さんについて興味のある方は、是非ご覧ください。

目次

久保田悟さんのプロフィール

プロフィール

歴史と文化が息づく兵庫県丹波篠山市。その乾新町で1973年に生を受けた久保田悟さんは、現在51歳(2024年現在)を迎えています。

生まれた時から、彼の人生はサーカスと切っても切れない縁で結ばれていました。

  • 生年:1973年
  • 年齢:51歳(2024年現在)
  • 出身:兵庫県丹波篠山市乾新町
  • 職業:サーカス団長(元ポップサーカス社長)
  • 趣味:サッカー

篠山の町並みは、江戸時代から続く城下町の風情を今に伝えています。その歴史ある街で育った久保田さんは、幼い頃から二つの世界を行き来する特別な少年でした。

一つは古き良き日本の伝統が残る篠山の日常。もう一つは、トレーラーハウスと共に移動する非日常のサーカスの世界です。

学歴

  • 小学:篠山小学校
  • 中学:篠山中学校
  • 高校:篠山鳳凰高校

久保田さんの学生時代は、まさに二つの世界の狭間にありました。平日は歴史ある学び舎で学業に励み、休暇になると両親の待つサーカスの世界へ。

否が応にもこの独特な環境が、後の久保田さんの柔軟な発想力、世界を股にかける行動力の源となったのかもしれません。

特に中学時代のサッカー部創設は、彼のリーダーシップの原点として語られることが多いようです。ゼロから組織を作り上げ、県大会出場という結果を残した経験は、後のサーカス団経営にも活かされることになります。

久保田悟さんの家族構成

両親

  • 父:久保田将利さん
    • 元サーカス団の運営担当
    • 物販部門を担当
    • ポップサーカスの創設者

  • 母:久保田洋子さん
    • 元綱渡り芸人
    • 現役時代は観客を魅了
    • サーカスで将利さんと出会う

日本のサーカス界には、代々その技と魂を受け継いできた「サーカスファミリー」と呼ばれる家系が存在します。久保田家もその一つと言えるでしょう。

父・将利さんは物販からサーカス団の運営全般まで、経営の視点からサーカスを支え、母・洋子さんは綱渡り芸人として観客を魅了してきました。二人の出会いもまた、サーカスという特別な空間があってこそのものでした。

妻子

公式な結婚、そしてお子さんに関する情報は現在まで確認されていません。これは、サーカス団の運営者特有の生活パターンが影響?

一般的にサーカス界では、以下のような結婚の特徴が見られます。

  • サーカス団内での出会いが多い
  • 移動生活を共にできる相手選び
  • 仕事とプライベートの境界が曖昧
  • プライバシーの保護が重視される

久保田さん自身が経験したように、サーカス界での子育ても非常に特殊です。

  • 地域の学校と移動生活の両立
  • サーカス団内での教育プログラム
  • オンライン教育の活用

そんな状況も重なり、結婚へと至ってないのかも知れません。

久保田悟さんの経歴

サーカスとの出会い

幼い久保田さんにとって、サーカスは特別な存在でした。普段は祖父母の家で過ごしながら、長期休暇になると両親の公演先へ。そこで目にする世界は、幼心にも強く印象に残るものでした。

  • 両親との思い出
    • 夏休みや冬休みの公演先訪問
    • トレーラーハウスでの生活体験
    • 演者たちとの交流
    • 同じ境遇の子供たちとの出会い

当時を振り返り、久保田さんは「同じ環境の幼馴染に会えるのが嬉しかった。遊んでくれる演者も愉快な人ばかりで毎日が遊園地のように楽しく、いつも後ろ髪を引かれていました」と語っています。

この言葉からは、非日常の世界に魅了された少年の純粋な喜びが伝わってきます。

これまでの活動

高校卒業後、久保田さんは一度サーカスの世界を離れ、東京でホテルマンとして働き始めます。この選択には、自分の人生を自分で切り開きたいという若者らしい決意があったのかもしれません。

しかし、1996年に運命の転機が訪れます。両親が所属していたサーカス団が廃業という事態に直面したのです。

  • ホテルマン時代(1992年~1996年)
    • 接客業での経験を積む
    • サービス業の基礎を学ぶ
    • 組織運営のノウハウを習得

父・将利さんが「ポップサーカス」の設立を決意した時、久保田さんの心は大きく揺れ動いたことでしょう。安定したホテルマンの職を捨て、不確実な未来に飛び込む決断は、並大抵の覚悟ではなかったはずです。

しかし、「あのワクワクした世界に加われるのか」という喜びの言葉からは、幼い頃から心の奥底に眠っていたサーカスへの情熱が、一気に噴き出したことが伺えます。

  • ポップサーカス参画(1996年~)
    • 父の起業に伴い参画を決意
    • 全国44都市で140公演を実施
    • 累計1500万人以上を動員

運営に携わり始めた久保田さんは、持ち前の行動力を発揮。各地で公演を成功させ、その実績は瞬く間に積み重なっていきました。特筆すべきは、単なる興行としてではなく、「感動を届ける場」としてサーカスを捉える視点を持ち続けたことです。

  • 社長就任期(2014年~2024年)
    • 41歳で社長に就任
    • パフォーマーの契約制導入
    • 13カ国からの人材登用
    • コロナ禍での経営危機を乗り越える
    • 2023年2月の公演再開を実現

2014年、41歳での社長就任は、サーカス界に新しい風を吹き込みます。

従来の「家族的な経営」から脱却し、パフォーマーを年間契約制にするという大胆な改革を実行。これは、同じメンバーによるマンネリ化を防ぎ、常に新鮮な演目を提供するための英断でした。

久保田悟さん・団員の年収

年収

年間契約制の何より特筆すべき点は、パフォーマーの年収が最高で3000万円を超えるということ。

これは、久保田さんの「人」への投資姿勢のあらわれ。世界中から一流の人材を集め、適切な報酬で遇することで、質の高いエンターテインメントを提供したいという、久保田さんだからこそ可能になった成果です。

それをマネージする久保田さんの年収も推して知るべし。ただし、経営者は動員数によりその実入りは大きく左右されるため、魅力的なショーを続けることが高年収の絶対条件にはなりますが・・・

コロナ危機

しかし、2020年、新型コロナウイルスの感染拡大に場面は暗転。

サーカス界は未曾有の危機に直面。ポップサーカスも長期休演を余儀なくされ、一時は倒産の危機さえありました。

この時期、久保田さんはパフォーマーたちと何度も話し合いを重ね、それぞれが自国で練習を継続できる体制を整備。その結果、2023年2月の再開時には、ブランクを感じさせない高品質なパフォーマンスを披露することとなります。

それが可能になったのも、過去の報酬に対する絶対的な信頼。久保田さんの経営手腕で最も印象的なのは、「伝統と革新のバランス」です。

サーカスという伝統的なエンターテインメントを守りながら、世界基準の報酬体系や契約制度を導入し、ビジネスとしての持続可能性を向上。

その結果、コロナ禍という危機に直面しても、パフォーマーたちとの信頼関係を基に、見事な復活を果たしています。

そして全ての原点となるのは、「サーカスを愛する少年の心」。幼少期から培われたサーカスへの純粋な情熱が、困難な時期を乗り越える原動力になったのではないでしょうか。

今後の活動

2024年9月、ポップサーカスは株式会社エスト・ルミエールの完全子会社となり、久保田さんは社長を退任。しかし、これは決して引退を意味するものではなく、現在も団長として、サーカスの新たな可能性を追求し続けています。

久保田さんは、サーカスの本質をこう語ります。

「言葉の壁は無く、人を喜ばせたいという想いで世界中から集まったトップパフォーマーたちのパフォーマンス。大きなテントの中ではパフォーマーが汗をかき、土や観客の匂いが漂う。匂いが記憶と結びつき、強く印象が刷り込まれる。この経験を周囲の人に広めていってほしい」

この言葉には、単なるショービジネスを超えた、人々の記憶に永く残る感動体験を創造したいという、久保田さんの強い思いが込められています。

そして、その感動体験創出のための挑戦は、これからも続きます。

まとめ

  • 1973年生まれ、兵庫県丹波篠山市出身
  • サーカス一家に生まれ、幼少期から業界と親しむ
  • ホテルマンを経て1996年からサーカス運営に携わる
  • 2014年から2024年まで社長として革新的な経営を実践
  • 現在は団長として世界規模での人材発掘・育成に注力

半世紀にわたってサーカスと共に歩んできた久保田悟さん。その歩みは、日本のサーカス界の歴史そのものとも言えます。

伝統を守りながらも革新を恐れない姿勢、世界に目を向けた視野の広さ、そして何より、人々に感動を届けたいという純粋な思いが、多くの人々の心を掴んで離さないのでしょう。

これからも久保田さんが創り出す「夢の世界」から、目が離せません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

管理人の0107(オトナ)です。

これまでの経歴
・営業・マーケティングの仕事歴30年
・海外での生活10年
・人間心理のエキスパート

自分を支えてきたあらゆる物・人への好奇心。そのアンテナに引っかかった情報を、斜め上からの視点、オトナの視点でまとめて行きたいと考えています。

時事ネタ、芸能・スポーツネタから、お店の情報に至るまで、幅広い情報をわかりやすくまとめていきますので、読者の皆様の情報入手の効率化に役立つことが出来れば、何より嬉しく思います!

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