1994年、アメリカ・ハワイ州で起きた日本人占い師藤田小女姫さんとその養子の殺害事件。30年近く服役してきた福迫雷太(ふくさく らいた)受刑者は、2024年10月、ハワイの刑務所内で他の受刑者に殺害されました。
福迫氏は一貫して殺人への関与を否定し続けましたが、その真相は今なお、多くの謎に包まれたままです。
本記事では、福迫雷太(ふくさく らいた)氏の経歴、生い立ちを振り返りつつ、冤罪説が囁かれる理由についてまとめていきます。
- 福迫雷太(ふくさく らいた)の生い立ちと経歴
- 藤田小女姫との関係
- 事件の概要:事件発生から逮捕までの流れ
- 裁判での争点
- 冤罪説の根拠
- 未解明の謎
- 判決後:刑務所での生活と最期
米刑務所で刺殺された福迫雷太受刑者、藤田小女姫さん母子殺害で終身禁固刑受け服役中 https://t.co/rQph6Qi55p
— 産経ニュース (@Sankei_news) October 16, 2024
米ハワイ州の刑務所で、日本人の福迫(ふくさく)雷太受刑者(59)が刺殺された。
藤田小女姫殺人事件、そしてその犯人とされた福迫雷太(ふくさく らいた)氏について興味のある方は、是非ご覧ください。
福迫雷太の生い立ちと経歴
エリート家庭:挫折
福迫雷太(ふくさく らいた)氏は1965年、週刊サンケイの記者・福迫千春氏を父に持つ家庭で生まれました。幼少期から優秀な成績を収め、名門・開成中学に入学しますが、深刻ないじめに遭い中退。この挫折を経て、アメリカへの留学を選択。
この選択が、その後の人生を大きく変えることになります。
アメリカ留学:違法ビジネスへ
カリフォルニア州立大学への留学後、日本人留学生グループと知り合い、輸入ビジネスを開始。しかし、このビジネスの実態は防弾仕様のロールスロイスのドアの中に拳銃を隠匿して日本に密輸出するという違法なものでした。
この時期、彼は銃の不法所持により4度の逮捕歴があります。
違法ビジネス:暴力団関係者との繋がり
留学時代の違法ビジネスを通じて暴力団関係者との繋がりができ、在日北朝鮮人が経営する金融会社に勤めるようになります。そして、会社の金融関連の業務で日本とハワイを頻繁に行き来する生活を送っていました。
事件当時(1994年2月)は28歳、逮捕時(1994年8月)には29歳でした。
藤田小女姫さんとの関係
ハワイ大学生の吾郎氏との出会い
福迫雷太(ふくさく らいた)氏は、ハワイ大学に通う藤田小女姫さんの息子、藤田吾郎氏(21歳/当時)とスキューバダイビングを通じて知り合いました。
二人は毎日のように顔を合わせる親密な仲となり、この関係から自然と藤田小女姫さんの自宅にも出入りするようになっていきます。
トラブルの始まり
しかし、その関係は次第に金銭トラブルへと発展。福迫氏は吾郎氏のクレジットカードを無断で使用するようになり、この件について小女姫から直接注意を受けることに。
実際に、吾郎氏からは直接の借金もあり、自身の経済状況も家賃3ヶ月の滞納があるなど、生活は困窮していました。
北朝鮮系金融業者との関係
福迫氏の経済的困窮状態とは別に、藤田小女姫さんも何者かから恐喝を受け、多額の金銭を要求されていたとされます。この状況で小女姫さんは福迫氏に対し、生命保険を担保にした借金を相談。
そして、このような相談をするということは、福迫氏がカタギでなかったことは小女姫さんも知っていたものと考えられます。
200万ドルの借り入れと偽札問題
福迫氏は小女姫さんに在日北朝鮮系の金融業者「K」を紹介。小女姫さんは「K」から200万ドルを借り入れますが、これは北朝鮮で製造された偽札であり、夏までは使用しないという条件が付けられていました。
しかし、福迫氏の証言によれば、この約束が破られたようです。
事件の概要:発生から逮捕までの流れ
事件当日の1994年2月23日、平穏なハワイの朝は、誰もが想像できないような悲劇の幕開けとなりました。
- 午前9時27分:福迫氏と吾郎氏が福迫氏のマンションに入室
- 午後12時55分:福迫氏が一人で外出
- 午後3時頃:小女姫さんから銀行への緊急連絡
- 午後4時51分:小女姫さんの遺体発見
- 午後5時35分〜9時15分:福迫氏による台車での荷物運搬
- 午後10時30分過ぎ:吾郎氏の遺体発見
注目されるのは、小女姫さんから日系銀行セントラルパシフィック銀行へかけられた最後の電話。
銀行の会長である佐藤慶治氏は、小女姫さんの声が普段とは違う様子で、明らかな緊張と恐怖を感じさせるものだったと証言しています。
電話の内容は2万ドルの緊急送金の依頼。そして、その電話の背後には誰かのカタコトの日本語が聞こえていたといいます。
不安を感じた佐藤会長は日本総領事館に連絡を入れ、内田領事と共に小女姫さんの自宅を訪問することになります。
そして、そこで目にしたのは、煙が立ち上る部屋と、クローゼット内で発見された小女姫さんの無残な遺体でした。
翌日からの福迫氏の行動は、後の捜査で重要な証拠となっていきます。
- 2月24日午前:自宅ソファの処分
- 同日:小女姫の宝石を質屋で質入れ
- 2月25日:日本への帰国
事態が大きく動いたのは、日本のメディアが事件を報道し始めてからでした。福迫氏は自身に容疑がかかっていることを知り、3月3日、自ら神奈川県警に出頭。
これにより、日米犯罪人引渡条約による初の殺人容疑者の身柄引き渡しという歴史的な出来事へとつながっていくのです。
裁判での争点
ホノルル巡回裁判所で行われた裁判は、検察と弁護側の激しい攻防の場となりました。検察側は、福迫氏の経済的困窮を動機とする計画的な犯行だと主張。一方の弁護側は、一貫して殺人への関与を否定し続けました。
検察側が提示した主な物的証拠:
- マンションの防犯カメラ映像
- ソファから検出された血痕とDNA鑑定結果
- 小女姫殺害に使用された銃弾との一致
- 質入れされた宝石
しかし、弁護側は驚くべき主張を展開します。福迫氏は「真犯人は知っているが、家族や恋人の安全のために話せない」と述べ、遺体の運搬は脅迫により強要されたものだと主張したのです。
冤罪説の根拠
事件の真相を探る上で、最も大きな争点は物理的な時間の矛盾です。
吾郎氏の遺体が入った車が発見された時刻は22時30分。その僅か4分後の22時34分、福迫氏は3キロ離れたABCストアで買い物をしています。この短時間での移動は物理的に不可能だと指摘されています。
さらに、小女姫さんの検死結果からは不可解な事実が。遺体には9か所もの傷があり、首には絞められた跡、そして猿轡をかまされた痕跡が残されていました。
法医学の専門家は、これらの痕跡から複数人による犯行の可能性を指摘。また、銃創の特徴はショットガンによるものである可能性も指摘されています。
「殺人犯にされてしまう」 藤田小女姫事件の「福迫雷太受刑者」がハワイで獄中死…仮拘束前日の「2時間の肉声」 https://t.co/qecvNfcss1
— SINK@趣味&避難アカ (@sinkkanpf1) November 11, 2024
未解決事件クラスタではプチエン並の闇深事件として有名だけど、この受刑者が仮釈放時に何か話すのでは?と言われてたんだよなー。そのタイミングで殺害とは…
未解明の謎
事件の背景には、単なる殺人を超えた大きな謎も潜んでいます。
その中心となるのが「ブラックノート」の存在です。政財界の重要人物から得た機密情報が記されたとされるこの手帳は、北朝鮮系金融業者「K」への借金の担保として渡されていたとされます。
さらに、事件から2ヶ月後、この「K」も東京で何者かに射殺されるという不可解な出来事が発生し、いまだに未解決。
200万ドルもの北朝鮮製偽札の存在、そして関係者の不審な死。
これらの事実は、この事件が単純な金銭トラブルを超えた、より大きな陰謀の一端である可能性をも感じさせることから、半ば都市伝説的にも議論の続く事件となっているのです。
判決後:刑務所での生活と最期
1995年2月下旬、ホノルル巡回裁判所で裁判が始まりました。
福迫氏は無実を主張し、脅されて遺体の運搬をしただけだと証言しましたが、裁判所は福迫氏を藤田小女姫さんと吾郎氏殺害の実行犯と認定。第二級殺人罪で終身刑の判決が下されました。
判決を受けた福迫氏は、涙を浮かべながら「この裁判に圧力を加えている人に言います。私は何も言いません。何も話しません。私の恋人や家族に何もしないでください」という意味深な言葉を残しています。
その後、アリゾナ州サグアロ矯正センターでの生活の中で、福迫氏は胃がんを患います。がんは全身に転移し、医師からは生存率わずか2%という厳しい宣告を受けながらも、治療を続けていました。
そして2024年10月、突如として事態は思わぬ方向へと動きます。ハワイ州ハラワ刑務所で、同房の38歳の受刑者による暴行を受け、福迫氏は命を落としたのです。
頭部や首には傷があり、極めて暴力的な襲撃だったとされています。模範的な受刑者として知られていた福迫氏の突然の死は、新たな疑念を投げかけることとなりました。
昭和の政財界に顧客…占い師・藤田小女姫さんハワイ殺害 福迫雷太受刑者が獄中で殺害 若狭弁護士「刑務所でも犯罪から無縁ではない」 #FNNプライムオンライン #めざまし8 https://t.co/sX2RNJW6dv
— FNNプライムオンライン (@FNN_News) October 16, 2024
まとめ
30年近い時を経て、福迫雷太は真相を語ることなく命を落としました。
しかし、彼の死は事件の謎をさらに深めることに。
金銭トラブルという単純な動機では説明できない様々な疑問。北朝鮮との関連や政財界の機密情報など、より大きな背景の存在を暗示するかのような事実。
そして最後まで語られることのなかった「真相」。これらすべては、この事件が持つ闇の深さを物語っているのかもしれません。
福迫氏が最期まで守り続けた沈黙の理由は、彼の死とともに永遠に闇に葬られることとなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。