私たちの食卓に並ぶエビやマグロ。その裏で、人権を踏みにじられた漁船員たちが過酷な労働を強いられています。タイやミャンマーなどの貧困地域から集められた彼らは、まるで奴隷のように扱われ、何年も陸に上がることすらできない状況で働かされているのです。
この「現代の奴隷制」と闘い続けているのが、タイの人権活動家、パティマ・タンプチャヤクルです。
本記事では、これまでに3000人以上の漁船員を救出し、「海の奴隷」を無くすための活動に人生を捧げている彼女のプロフィール、経歴から、その物語をお伝えしたいと思います。
- パティマ・タンプチャヤクルのプロフィール
- パティマ・タンプチャヤクルの経歴
- これまでの活動
- 映画「ゴースト・フリート」
- これからの活動
Seafood Champion Awards winner for Advocacy – PATIMA TUNGPUCHAYAKUL #swss18 pic.twitter.com/s0YyyVqeLu
— Seafood Summit (@SeawebSummit) June 19, 2018
「現代の奴隷制」と闘い続るタイの人権活動家、パティマ・タンプチャヤクルさんについて興味のある方は、是非ご覧ください。
パティマ・タンプチャヤクルのプロフィール
プロフィール
- 出生:1970年頃(2024年現在 50代前半)
- 出身:タイ王国パトゥムターニー県
- 大学:マハサラカム大学人文社会科学部卒業(1996年)
- 家族:夫/ソンポン・スラカエウ氏、息子/プイメイくん
- 2004年 夫のソンポン・スラカエウ氏とともにLPNを設立
- 2017年 ノーベル平和賞にノミネート
夫婦二人三脚で人権活動に取り組むパティマさん。
料理とガーデニングを愛し、朝は夫が淹れてくれるコーヒーを飲みながら語らい、息子を学校に送る時間を大切にする、そんな日常を愛する彼女が、なぜ命がけの救出活動に身を投じることになったのでしょうか。
LPNとは?
- Labour Rights Promotion Network Foundation(労働権利推進ネットワーク基金)
- 2004年12月24日に正式団体として登録
- タイ全土での人身売買被害者支援や人権侵害の監視を実施
- 移民労働者とその子どもたちの教育支援も行う
パティマ・タンプチャヤクルの経歴
人権活動への目覚め
1996年、マハサラカム大学の人文社会科学部を卒業したパティマさんは、タイ国内で子どもの教育問題に取り組み始めます。そこで彼女の人生を変える衝撃的な現実と向き合うことに。
バンコク北部の工場地帯で目の当たりにしたのは、女性や子どもたちを含む移民労働者が深刻な虐待を受けている実態。中には、わずか10歳で工場に連れてこられ、8年間も働かされ続けた子どももいました。
組織的な支援活動への第一歩
この経験が、現在の夫となるソンポン・スラカエウ氏との出会いにつながります。二人は移民労働者の人権問題に取り組むため、2004年にLPN(労働権利推進ネットワーク基金)を設立。ILO(国際労働機関)からの支援を受け、正式な団体として活動を開始。
タイで最も移民労働者が集中するサムットサーコーン県に焦点を絞って活動。その年だけで、水産加工工場から400人もの移民労働者を救出する成果を上げます。
漁船員問題との出会い
2008年、パティマさんの活動は新たな転機を迎えます。港に取り残された漁船員や、インドネシアから命からがら逃げ帰ってきた人々から、悲痛な声が寄せられるようになったのです。
多くの漁船員は人身売買の被害者。タイ、ミャンマー、カンボジアなど様々な国の人々が、報酬もなく奴隷のように働かされ、過酷な労働環境に置かれていました。この問題に対処するため、パティマさんは人身売買を規制する法制化にも尽力します。
救出活動の本格化
2014年8月、パティマさんは大きな決断を下します。自ら資金を集め、インドネシアのアンボン島への渡航を実現。
最初の調査で、現地で6人のタイ人漁船員と19人のミャンマー人漁船員を発見。彼らは身分証明書もないまま、再び奴隷として売られることを恐れ、離島に潜むように暮らしていました。
この経験から、パティマさんはタイとインドネシアを16回も往復し、各国政府やNGO、現地の人々と連携しながら、救出活動を展開。2019年までに救出した人数は3000人を超え、その活動は国際的な注目を集めることになりました。
周囲からは「なぜタイ人ではなく移民を助けるのか」と批判の声も上がりましたが、彼女は信念を曲げずに活動を継続します。
これまでの活動
2014年8月のインドネシア渡航は、水産業界の闇に一筋の光を投げかける歴史的な一歩でした。この活動の意義は、単なる救出活動の成功以上に重要な意味を持っています。
救出活動の実態
パティマさんの活動でも特筆すべきは、その「行動力」。多くの人が問題を認識していながら、実際に行動を起こせなかった中で、彼女は実践的なアプローチを選びました。
インドネシアでの救出活動の特徴:
- 事前調査なしでの現地渡航
- 現地コミュニティとの信頼関係の構築
- 政府機関を動かすための粘り強い交渉
- 被害者の心のケアまでを考慮した支援
その中でも、パティマさんは3つの壁に直面、そしてその壁はいまだに完全に取り除かれてはいません。
- 見えない壁:水産業界の利権構造
漁業会社や船主たちは、この問題を徹底的に隠蔽しようとしました。パティマさんへの脅迫は、彼女の活動が利権の核心に触れていることの証明です。 - 制度の壁:法的保護の不在
当時のタイには人身売買を規制する法律すらありませんでした。つまり、被害者を救っても、法的な保護を与えることができない状況だったのです。 - 無関心の壁:社会の反応
「なぜ移民を助けるのか」という批判は、人権問題に対する社会の無理解を象徴しています。これは今でも続く課題です。
活動の波及効果
それでも、パティマさんの活動は、予想以上の影響を社会に与えました。
- 法制度の変革
2016年のIUU漁業規制法制定は、彼女の活動なしには実現しなかったでしょう。一個人の行動が国の政策を動かした稀有な例と言えます。
IUU(Illegal, Unreported, Unregulated)漁業とは:
・Illegal(違法)
・Unreported(無報告)
・Unregulated(無規制) の頭文字を取った略称 - 国際的な認知
救出された3000人以上の人々の証言は、現代の奴隷制の実態を世界に知らしめました。これは、グローバルなサプライチェーンの在り方を問い直す契機となっています。 - 業界への影響
水産業界は、人権問題への取り組みを無視できなくなりました。これは、持続可能な漁業の定義に「人権」の視点が加わったことを意味します。
パティマさんの活動で最も重要なのは、「行動の連鎖」を生み出したことです。彼女の勇気ある一歩は、他のNGOや政府機関、さらには国際社会を動かす触媒となりました。
その秘密は、彼女が「告発」ではなく「解決」を重視したこと。漁業会社との対話を試み、政府との協力関係を築こうとする姿勢は、問題解決への現実的なアプローチとして機能しています。
しかし、この問題はまだ解決には程遠い状況。なぜなら:
- 人身売買のネットワークは依然として存在
- 貧困という根本的な問題は解決していない
- 消費者の意識改革はこれからの課題
パティマさんの活動は、私たちに「知ること」と「行動すること」の間には大きな隔たりがあることを教えています。
その隔たりを埋めるために、自らの身を危険にさらしてでも行動を起こすことを決断したパティマさん。社会変革には「知識」だけでなく「行動する勇気」が必要だということを我々に示しています。
映画「ゴースト・フリート」
パティマ・タンプチャヤクルさんの活動は「ゴースト・フリート」というタイトルで映画化もされています。
- 2016年から3年がかりで制作された密着ドキュメンタリー
- 危険な奴隷救出活動の現場を克明に記録
- 2018年に完成し、国際映画祭で高い評価を獲得
- 2022年5月から日本でも上映開始
映画の中でパティマさんは「スーパーウーマン」のように映っていますが、本人は「私はごく普通の人間」と語ります。
しかし、その「普通の人間」が成し遂げてきた救出活動は、まさに英雄的と言えるでしょう。
GHOST FLEET follows Thai human-rights activist Patima Tungpuchayakul as she and her team seek to bring home workers essentially enslaved at sea in the global fishing industry. #HRWFFTO pic.twitter.com/48wvexGGYy
— TIFF (@TIFF_NET) February 20, 2019
これからの活動
パティマさんは今、3つの大きな目標を掲げています。私なりに解説を加えながら、その意味と重要性を説明したいと思います。
1. 人生を自分で切り開ける力をつける支援
「エンパワーメント」と難しい言葉で表現されがちですが、要は移民労働者と子どもたちが「自分の力で生きていける」ようになることです。
例えば、言葉の壁を越えて自分の権利を主張できる、教育を受けて仕事の選択肢を増やせる、そんな力を身につけてもらうための支援です。
なぜこれが重要かというと、一時的な救助だけでは根本的な解決にならないからで。自分で自分の権利を守れる力をつければ、再び人身売買の被害者になるリスクも減ります。
2. タイ人と移民労働者が互いに助け合える関係づくり
「なぜタイ人ではなく移民を助けるのか」。パティマさんが活動を始めた当初、よく投げかけられた質問です。しかし彼女は、この考え方自体を変えたいと考えています。
国籍に関係なく、困っている人を助け合える。そんな社会を作ることが、人身売買や強制労働をなくすための土台になるはずです。
3. 消費者の意識を変える
「安い魚」の裏で、どんな犠牲が払われているのか。パティマさんは、この問題を私たち消費者一人一人が考えることの重要性を訴えています。
実は、この部分が最も難しい課題かもしれません。なぜなら、目の前においしそうな魚があれば、その魚がどこでどうやって獲られたのかまで考える人は少ないからです。
しかし、この私たちの「知らない」という態度が、この問題を長年にわたって見えにくくしてきた面があることを自覚することこそが重要です。
さらに今、パティマさんはマレーシア近海での労働搾取問題にも目を向けています。問題は決して一つの海域だけの話ではありません。彼女の活動は、まだまだ広がっていく可能性を秘めています。
私たち一人一人にできることは小さいかもしれません。でも、魚を買うとき、食べるとき、その向こうにある人々の暮らしに思いを馳せる。それが、パティマさんの活動を支える第一歩になるのではないでしょうか。
ICYMI: Patima Tungpuchayakul received the 2018 @SCBJairoAward at @IMCC2018 last week! #IMCC5 #ConservationHeroes #YoSoyJairo https://t.co/n8fiMZPStp pic.twitter.com/VKoLvlnzv6
— SCB (@Society4ConBio) July 3, 2018
まとめ
パティマ・タンプチャヤクルさんの活動は私たちに投げかける問題。世界最大級の水産物輸入国である日本も、この問題と無関係ではありません。
「魚は新鮮でありさえすれば良い」のでしょうか。環境への配慮、そして何より、その裏にある人権問題にも目を向ける必要があります。
私たちにできることは、まず「この魚はどこから来たのか?」と問うこと。そして、この問題について周りの人々と語り合い、意識を高めていくことです。
パティマさんの活動は、一人の「普通の人間」が、強い信念を持って行動を起こせば、世界を変えることが出来る、その可能性を教えてくれています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。