「何でも買い取ります」―この一見シンプルな約束が、日本のリユース業界に革命を起こしています。
株式会社RCの代表取締役・大堀直樹氏が率いる「買いクル」は、従来の常識を覆す新しいビジネスモデルで急成長。驚くべきことに、この革新的なサービスの誕生は、一人の若者のフリーター経験から始まったのです。
本記事では「買いクル」創業者、大堀直樹氏のプロフィール、経歴から革新的サービスの原点を探ります。
- 大堀直樹氏のプロフィール
- 大堀直樹氏の経歴
- 買いクルの創業秘話
- 海外展開への挑戦
- 経営者としての理念
「買いクル」、そしてその創業社長、大堀直樹氏について興味のある方は、是非ご覧ください。
大堀直樹氏のプロフィール
- 生年:1980年
- 年齢:44歳(2024年時点)
- 出身:東京都港区
- 高校:東京都立港工業高校
- 大学:大学進学はせず20歳からフリーター生活を経験
2024年現在、リユース業界の革新者として注目を集める大堀氏ですが、その出発点は意外にも普通の若者でした。大学への進学を選ばず、20歳でフリーターとなった彼の人生が大きく動いたのは、子どもの誕生がきっかけでした。
突然訪れた父親という立場。責任の重さに戸惑いながらも、大堀氏は人生の転機をポジティブに受け止めます。この経験は後の経営哲学にも大きな影響を与えることに。
「誰もが持っている可能性を信じること」―これは彼が常々口にする言葉ですが、まさに自身の経験に基づいているのです。
そして、大堀氏は大手リサイクル会社へ就職。ここで現在に至る頭角をあらわすこととなります。
大堀直樹氏の経歴
- 個人で単月売上1600万円を達成
- 年間売上1億3000万円を記録
- 全国営業トップ賞、社長賞を受賞
- 26歳で最年少役員に就任
当時のリサイクル業界といえば、まだブックオフくらいしか目立った企業がない状況。これから成長が期待できる業界だと考えた大堀氏でしたが、実際の仕事は想像を超える激務でした。
「朝8時に出社して24時前に帰れたのは入社した初日くらい。それでも23時30分でしたね。あとは午前1時や2時、3時に帰るのが普通でした」と当時を振り返ります。
しかし、その努力は確実に実を結びます。入社わずか1年で管理職に抜擢され、3年後には「立て直し請負人」として全国最下位の店舗を次々と任されるように。
驚くべきことに、大堀氏が携わった店舗はすべて全国1位にまで成長を遂げました。
その手法は極めて実践的。まず自らが店頭に立ち、次に現地特性の徹底的な分析を行います。商圏の人口や世帯数の調査、広告媒体の最適化など、マーケティングの基本に忠実に取り組みました。
さらに、人材教育を通じてスタッフのマインドセットを変革。「売上の上限は個人の思い込みで決まる」という考えのもと、数字で成功体験を見せることで、チーム全体のモチベーション向上にも成功しています。
大手リサイクルショップでの経験を通じて、大堀氏は業界の構造的な課題も発見。当時、多くのリサイクルショップは「買いたたき」と呼ばれる厳しい査定で利益を確保していました。
また、店舗スペースの制約から、大型家具など場所を取る商品は扱いたがらない傾向にありました。
「店舗スペースの小さいリサイクルショップでは、ベッドなどの大きいものは扱わないことがほとんど。そういうものを在庫として置くのであれば、その場所にノートPCやテレビなどの小さい品物を置いたほうが利益率がいい。でも、お客さんからしたらベッドなどの家具も置いてほしいのが本音ですよね」と、当時の業界の矛盾を指摘します。
この経験は、後の「買いクル」創業時の重要な指針となりました。「何でも買い取る」という方針、店舗を持たないビジネスモデルの採用など、大堀氏の革新的なアプローチは、まさにこの時期に築かれた問題意識から生まれたものだったのです。
26歳で最年少役員に就任した大堀氏。しかし、そのわずか10ヶ月後には退社を決意します。きっかけとなったのは、ホリエモンの「経営者の1年はサラリーマンの10年分の密度と効果がある」という記事との出会い。
さらに、リクルート社員100人の苦労談をまとめた本を読んだことで、「たった300人ほどの会社で役員になれたからって、調子に乗っているな」と自省するようになります。
この謙虚な自己分析が、次なる挑戦への原動力となったのです。
買いクルの創業秘話
26歳で最年少役員に就任した大堀氏でしたが、外の世界には、まだまだ多くの可能性が広がっていることを実感し、わずか10ヶ月で退社を決意。そして・・・
- 2008年 株式会社RC設立
28歳での起業は、少数精鋭、3人体制でスタートでした。
起業にあたり大堀氏が選んだのは、「これからは店舗販売ではなく、ネット販売が主流になる」という確信のもと、当時では珍しいインターネットを主戦場としたビジネスモデル。
しかし、船出は決して順風満帆ではありませんでした。「失敗しかしなかった」と大堀氏が振り返るように、リサイクル業の様々な申請許可に3ヶ月かかったりと、創業半年は苦難の連続だったのです。
ここで注目したいのは、逆境をチャンスに変えた大堀氏の発想の転換。
創業当初から従業員を抱えることは確かに負担となりましたが、それが結果として急成長のカギとなりました。
なぜなら、一人なら月20〜30万円の利益で生活できるところを、4人分の給与を捻出するために必死に売上を伸ばす工夫が必要となったからです。
事実、創業から半年という短期間で1億円の売上を達成。2年目には倍の2億円。「1人だったらここまで数字は伸びなかった」という大堀氏の言葉は、”ピンチはチャンス”という格言を体現しているように思えます。
また、当時では珍しかったインターネットを主戦場に選んだ判断も秀逸。
「これからは店舗販売ではなく、ネット販売が主流になる」という確信のもと、コストの低い千葉県に大きな土地を確保。家電も車もそこに集約し、ネットで販売するという効率的なビジネスモデルを構築しています。
実は、この判断は後のリーマンショック時にも活きることになります。実店舗を持たないことで固定費を抑えられていたこと、そして早くから輸出事業に着手していたことが、危機を乗り越える大きな力となったのです。
リーマンショック時、高級車の在庫が半額近くまで下落し、3000万円もの損失を抱えるという危機も、結果として海外展開を加速させるきっかけとなり、「買いクル」の強みとなる国際的な販路の構築につながっていきました。
海外展開への挑戦
- 東南アジアでの展開
– 2012年にカンボジアへ進出
– タイ、フィリピン、ミャンマーへと市場を拡
– 各国の特性に合わせた商品展開を実現
リーマンショックによる苦境を乗り越えた大堀氏は、海外市場に新たな可能性を見出します。日本では需要の低い商品でも、海外では価値が高いという発見が、ビジネスモデルをさらに進化。
例えば、日本では4〜5年程度の比較的新しい品物が好まれる一方、カンボジアなどの東南アジアでは10年以上経過した製品でも需要があります。
また、国によって需要の傾向も異なり、フィリピンでは洋服の輸出に制限があるなど、それぞれの市場特性に応じた戦略が必要でしたが、それすらがビジネスモデル進化のきっかけとなっています。
経営者としての理念
- 社会貢献活動
– カンボジアの孤児院や学校への支援活動
– アフリカの子どもたちへの支援プログラムへの参加
– 日本企業の現地進出サポート
大堀氏の海外展開は、単なるビジネスの拡大にとどまりません。カンボジアでは孤児院や学校への支援、日本企業の現地進出サポートなど、現地社会への貢献も積極的に行っています。
そして、その社会貢献活動こそが大堀氏の経営理念となっています。
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まとめ
2024年現在、買いクルは全国100拠点、122台の車両を保有し、年間3万件以上の訪問実績を持つ企業に成長しました。
20代でのフリーター経験、大手企業での成功、そして独立起業と、常に新しい挑戦を続けてきた大堀直樹氏。
「一期一会」を大切にする経営哲学は、今後も日本のリユース業界に新たな可能性を示し続けることでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。