伊藤素子のプロフィール・生い立ち!現在は?【三和銀行オンライン詐欺事件】

1981年、日本の金融史に大きな衝撃を与えた三和銀行オンライン詐欺事件。一人の女性銀行員が引き起こした1億8000万円の横領事件は、当時の日本社会に大きな波紋を投げかけました。

「好きな人のためにやりました」という言葉とともに、その美貌も相まって世間の注目を集めた伊藤素子。

事件から40年以上が経過した今、伊藤素子と南敏之の現在に多くの人々が関心を寄せています。この記事では、伊藤素子と南敏之の生い立ちから事件の真相に迫り、その後の二人の人生を追っていきます。

この記事でわかること
  • 伊藤素子のプロフィール・生い立ち
  • 南敏之のプロフィール・生い立ち
  • 三和銀行オンライン詐欺事件概要
  • 南敏之との関係
  • 逮捕・判決
  • 伊藤素子の現在は?
  • 南敏之の現在は?

三和銀行オンライン詐欺事件の犯人2人、伊藤素子と南敏之について興味のある方は、是非ご覧ください。

目次

伊藤素子のプロフィール・生い立ち

  • 生年月日:1948年11月18日(事件当時32歳)
  • 年齢  :76歳(2024年時点)
  • 出身  :京都府向日市
  • 学歴  :明徳商業高校(現・京都明徳高校)卒業
  • 身長  :170cm前後の長身
  • 兄弟  :兄1人、姉3人の5人兄弟の末っ子
  • 両親  :父親は高校教師 ・母親は華道家
  • 職歴  :1967年 三和銀行茨木支店に就職
         1981年の事件当時、預金係で勤続14年のベテラン行員

京都の閑静な住宅街で育った伊藤素子は、教育者の父と華道家の母のもと、厳格な家庭で育ちました。5人兄弟の末っ子として、両親や兄姉から可愛がられて育ったと言います。

幼少期から物静かで内向的な性格でしたが、その一方で端正な顔立ちと170cm前後という高身長から、周囲の注目を集める存在でした。

学生時代は、明徳商業高校で簿記や商業を学び、成績も優秀。読書好きで、放課後は図書室で過ごすことが多く、クラスメートとの付き合いも控えめだったようです。

1967年、高校卒業後すぐに三和銀行茨木支店に就職。預金係として14年間、無遅刻・無欠勤で勤務、几帳面で正確な仕事ぶりから上司からの信頼も厚かったといいます。

服装も質素で、化粧も控えめ。その美貌から多くの縁談が持ち込まれていたものの、容姿にこだわる面があり、なかなか結婚には至りませんでした。

その実、20歳の時に銀行に出入りする既婚男性と12年に及ぶ不倫関係に陥り、2度の中絶も経験。この経験が、後の南敏之との関係に影響を与えることになります。

南敏之のプロフィール・生い立ち

  • 生年:1945年生まれ(事件当時 35歳)
  • 年齢:79歳(2024年時点)
  • 学歴:立正大学卒業(1970年3月)
  • 特徴:180cm近い長身のハンサムで、大型キャデラックを愛用
       シンガーソングライター、みなみらんぼうの従兄弟
  • 職歴:政治家の秘書経験あり
       1970年 東急観光株式会社に入社
       1974年 東急観光株式会社を退社
  • 結婚:1972年 寺院の娘と結婚
       1974年 霊園管理事務所専務取締役 就任
       1975年 マニラで旅行案内業を開始

南敏之は、戦後まもない1945年に生まれ、比較的裕福な家庭で育ちました。立正大学時代は学生運動にも関わっており、カリスマ的な存在だったと言われています。大学卒業後は、一流企業である東急観光に入社。営業職として手腕を発揮し、海外添乗員としても活躍します。

1972年、27歳で寺院の一人娘と結婚。この結婚を機に、妻の実家が所有する大阪府茨木市内の霊苑(約一万坪の敷地)の管理事務所専務取締役に就任します。

1975年からは知人の紹介でフィリピン・マニラの旅行案内業「エアーアンドカーゴトラベルコーポレーション」も経営。さらに、有力政治家の秘書も務めるなど、多彩な経歴の持ち主でした。

外見は180cm近い長身で、ハンサムな容姿の持ち主。大型のキャデラックを乗り回し、スマートな物腰と巧みな話術で人々を魅了する存在でした。

しかし、その裏では事業の失敗で1億円近い負債を抱えており、金銭的には追い詰められた状況にありました。

霊園経営では、バブル期前の墓地需要の高まりを見込んで大規模な投資を行いましたが、経営は思うように行かず。マニラの旅行案内業も、引き継ぎ時に想定以上の負債があることが判明し、経営を圧迫する要因となっていました。

このような経営難から、取引のあった三和銀行茨木支店に頻繁に出入りするようになり、ここで預金係の伊藤素子と出会うことになります。

三和銀行オンライン詐欺事件概要

事件の基本情報

  • 発生日時:1981年3月25日
  • 場所  :三和銀行茨木支店(現・三菱UFJ銀行茨木支店)
  • 実行犯 :伊藤素子(当時32歳)
  • 被害総額:1億8000万円(現金5000万円、小切手8000万円)
  • 共犯者 :南敏之(当時35~36歳)

周到な実行日

犯行日の3月25日は、年度末の決算期であると同時に、給与振込日も重なっていたため、銀行の入出金チェック体制が最も手薄になる銀行にとって極めて特殊な日でした。

伊藤素子は14年のキャリアを持つベテラン行員として、このタイミングを熟知していました。

具体的な犯行手順

  1. 事前準備
  • 大阪2支店(吹田支店、豊中支店)
  • 東京2支店(新橋支店、虎ノ門支店) の計4支店に架空口座を開設
  1. 犯行当日の動き
  • 午前8時40分頃:茨木支店で勤務開始
  • 午前9時00分頃:オンラインシステムを使用し、4つの架空口座に合計1億8000万円を不正送金
  • 午前10時30分:歯痛を理由に早退
  • 午前中:大阪の2支店(吹田・豊中)で現金引き出し
  • 昼頃:伊丹空港から東京へ移動
  • 午後:東京の2支店(新橋・虎ノ門)で現金・小切手を引き出し
  • 夕方:都内で南敏之に金を手渡し
  • 夜:羽田空港から台北、香港経由でマニラへ逃亡

システムの盲点を突いた手口

当時の三和銀行のオンラインシステムには、以下のような脆弱性がありました。

  • 支店間の即時照合システムが未整備
  • 架空口座への大口送金に対するチェック機能が不十分
  • 行員の単独操作に対する監視体制が不完全

これらの盲点を、14年の勤務経験を持つ伊藤素子が熟知していたことが、犯行を可能にした要因でした。

被害金の行方

  • 現金5000万円 :南敏之が受け取り、家族との豪遊に使用
  • 小切手8000万円:銀行が支払い停止処置、2号不渡りとなり実被害を免れる
  • 伊藤素子の手元 :逃亡資金として500万円

そして、3月25日の犯行実行から約5ヶ月間、事件が発覚、報道されることはありませんでした。

南敏之との関係

南敏之との運命的な出会いは、伊藤素子が三和銀行茨木支店の預金係として日常業務を行っていた時のことでした。

大型のキャデラックを乗り回し、スマートな物腰で現れた南敏之は、当時一万坪もの敷地を持つ茨木霊園の経営者。しかし、その実態は事業の失敗で1億円近い負債を抱えた窮地に立たされた実業家でした。

伊藤素子はそれまで12年に及ぶ銀行取引先の既婚男性との不倫関係があり、2度の中絶も経験。この関係に終止符を打とうとしていた矢先、南敏之との出会いがありました。

背が高く、ハンサムで教養があり、何より女性の扱いが上手かった南敏之に、伊藤素子は次第に心を奪われていきました。

当初は、割り切った不倫関係のつもりでしたが、南敏之の巧みな話術と甘い言葉に、伊藤素子は徐々に深みにはまっていきます。南敏之は最初、自分の事業の将来性を熱心に語り、伊藤素子の心をつかみました。

しかし関係が深まるにつれ、南敏之は少しずつ金の無心をするようになります。最初は「一時的な融通」として10万円程度の小額でした。それが次第にエスカレートし、伊藤素子のキャッシュカードを借りて30万円、50万円と引き出すように。

愛する人の願いを断れない伊藤素子は、14年間の勤務で貯めた900万円もの預金を、すべて南敏之に渡してしまいます。

それでも借金に追われる南敏之は、ついに伊藤素子に「銀行務めやから何か知恵があるやろう」と、違法な方法での資金調達を持ちかけます。

当初、伊藤素子は「方法はあるがすぐに捕まってしまう」と断っていました。しかし南敏之は「金を引き出したらその足でフィリピンのマニラに逃げて、二人で幸せに暮らそう」と説得。

借金の形に苦しむ南敏之を救いたい一心で、また二人の新しい人生への期待を抱いて、伊藤素子は最後の賭けに出ることを決意します。

事件当日、計画通り1億8000万円を不正送金し、その大半を南敏之に渡した伊藤素子は、約束通りマニラへ逃亡。しかし、二人で新生活を始めるという約束は果たされることはありませんでした。

南敏之は一度もマニラに現れることなく、受け取った金で日本で家族と豪遊していたのです。

皮肉なことに、逮捕された後も伊藤素子は南敏之を恨むことはありませんでした。「借金に追われて人が変わってしまっただけ。本来の南さんは悪人ではない」と語り、南敏之の妻にまで謝罪の言葉を述べています。

この一途な愛情は、世間の同情を誘い、「好きな人のためにやりました」という言葉とともに、当時の人々の心に深く刻まれることになりました。

二人の関係は、愛と打算、純愛と裏切り、そして人間の光と影が複雑に絡み合った、昭和の一大人間ドラマとして、今なお多くの人々の記憶に残っています。

逮捕・判決

事件発覚までの経緯

  • 犯行日:1981年3月25日
  • 発覚まで:約5ヶ月
  • 報道日:1981年9月5日(新聞各社が一斉報道)

逮捕

  • 伊藤素子:逮捕日1981年9月8日(逃亡先のマニラで拘束)
  • 南敏之 :逮捕日1981年9月8日(大阪府茨木市内の自宅)

判決

  • 伊藤素子:判決 懲役2年6カ月
         模範囚として服役、1984年8月に仮釈放(2年で出所)
  • 南敏之 :判決 懲役5年(首謀者として重い刑が言い渡される)

この事件の裁判は、単なる横領事件としてだけでなく、人間の愛情と欲望が引き起こした悲劇として、大きな注目を集めました。

特に伊藤素子の一途な態度と、南敏之の裏切りという対照的な姿は、多くの人々の心に強く印象づけられることになりました。

伊藤素子の現在は?

伊藤素子は模範囚として服役し、2年後に仮釈放。服役中は多くのファンレターが届いたといいます。

出所後は一時実家に戻り、その後、大阪の本屋で勤務を始め、41歳となった1990年には、事件のことを承知している広告代理店勤務の男性と結婚。

現在は社長夫人として滋賀県のマンションで暮らしているという情報がありますが、訪れたマスコミも正確な所在を確認できていません。

存命であれば、2024年で76歳となります。

南敏之の現在は?

南敏之の出所後の人生については、ほとんど情報がありません。

姓を「村上」に改名したという情報以外、動向は明らかになっていません。事件後、妻とは離婚が成立。それ以降の消息は完全に途絶えており、現在の生活実態は不明です。

存命であれば、2024年で79歳となります。

まとめ

三和銀行オンライン詐欺事件は、日本の金融史上に大きな影響を残した事件でした。

事件は当時の銀行システムの脆弱性を露呈させ、後の法改正にもつながる重要な転換点となりました。また、「愛のための犯罪」として社会の注目を集め、様々な創作作品のモチーフとなりました。

事件の余波

  1. 金融界への影響
  • オンラインシステムの安全性の見直し
  • 内部統制の強化
  • 職員の監視体制の厳格化
  1. 社会的影響
  • 映画やドラマの題材として多数製作
  • 銀行強盗から知能犯罪への転換点として注目
  • 女性犯罪者の心理を考察する契機に

この事件は、単なる横領事件としてだけでなく、人間の愛情と欲望、そして運命の皮肉を示す象徴的な出来事として、今なお多くの人々の記憶に残り続けています。

コンピュータ時代の幕開けを告げる事件としても、重要な歴史的意義を持っているのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

管理人の0107(オトナ)です。

これまでの経歴
・営業・マーケティングの仕事歴30年
・海外での生活10年
・人間心理のエキスパート

自分を支えてきたあらゆる物・人への好奇心。そのアンテナに引っかかった情報を、斜め上からの視点、オトナの視点でまとめて行きたいと考えています。

時事ネタ、芸能・スポーツネタから、お店の情報に至るまで、幅広い情報をわかりやすくまとめていきますので、読者の皆様の情報入手の効率化に役立つことが出来れば、何より嬉しく思います!

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