2024年10月6日放送の『ザ・ノンフィクション』で、特別な思いを寄せる先輩女優、帯金ゆかりさんの名前を叫び続ける男性として注目を集めたウクレレ高円寺こと、原田浩司さん。
今回は、そんな個性的な原田浩司さんのプロフィールや経歴を詳しく見ていきたいと思います。
- 原田浩司さんのプロフィール
- 原田浩司さんの経歴
- 帯金ゆかりさんとの特別な関係
- 病との闘いと再起
ウクレレ高円寺こと、原田浩司さんについて興味のある方は、是非ご覧ください。
原田浩司さんのプロフィール
- 名前 :原田浩司(はらだ こうじ)
- 芸名 :ウクレレ高円寺(以前はウクレレ原田)
- 生年月日:1987年7月16日(37歳 2024年10月時点)
- 出身 :東京都杉並区高円寺
- 居住地 :東京都杉並区高円寺
- 家族構成:両親、兄の4人家族
原田さんは、東京の下町情緒と若者文化が混在する高円寺で生まれ育ちました。生まれも育ちも高円寺という、いわゆる「高円寺っ子」。
両親に連れられて荻窪のタウンセブンで「はちみつレモン」を飲むのが楽しみだったと幼少期のエピソードとして語るくらいの、生粋の「高円寺っ子」です。
原田浩司さんの経歴
学生時代と演劇との出会い
- 出身高校:早稲田大学高等学院
- 出身大学:早稲田大学 第一文学部
- 高校時代:演劇部に所属
- 大学時代:早稲田大学演劇研究会に所属
- 卒論 :高円寺阿波踊りに関する論文
高校時代から演劇部に所属していた原田さん。この経験が、彼の表現者としての出発点となっています。大学では映像を専攻しながら、早稲田大学演劇研究会に所属。ここで、後に特別な存在となる帯金ゆかりさんと出会うことになります。
原田さんの卒業論文のテーマは、地元・高円寺への愛着が表れた「高円寺阿波踊り」。
この選択は、「はちみつレモン」の逸話ではありませんが、彼の地元愛の現われで、自身のルーツを探究する姿勢は、原田さんという人物の、人となりを考える上で、重要な要素かも知れません。
社会人経験
- 2010年:IT企業の現アイアース株式会社に就職し、採用担当として勤務
- 2011年:同社退職
大学卒業後、原田さんの社会人としてのキャリアはIT企業に就職、そして約1年で退職と波乱の幕開けとなったようです。
そして、以後の職歴については、公務員になったとの噂もありますが、確認はできておらず、不明となっています。
いずれにしても、この経歴から見えてくるのは、原田さんの中で変化を求める気持ち。それは、社会人と芸術家、自身の生き方に対する葛藤だったのかもしれません。
音楽活動の始まり
- 2017年頃:音楽活動を開始
- 自称:「帯金ゆかりの公式ストーカー」
- 活動内容:帯金ゆかりさんへの思いを込めた楽曲の制作・発表
2017年頃、原田さんは音楽活動を開始します。「帯金ゆかりの公式ストーカー」という、ユーモアを含んだ肩書きで自らを称し、帯金さんへの思いを歌に込めていきます。
そして、この音楽活動への転身こそが、多くの人の関心を集めていくきっかけとなりました。
帯金ゆかりさんとの特別な関係
- 帯金ゆかりさん:原田さんの学生時代の先輩で、舞台女優
- 関係性:帯金さんは既婚者だが、その夫も公認の仲
- 現在の接点:週に3日は原田さんと帯金さんが過ごす
- 音楽活動:原田さんは帯金さんへの思いを込めた楽曲を制作
CD『帯金ゆかりを抱きたい』をリリース
帯金さんとのツーマンライブを開催
原田さんと帯金さん、そして帯金さんの夫との関係は、一般的な枠組みでは捉えきれない独特なもの。
原田さんはこの関係を『ママレード・ボーイ』みたいな関係と表現していますが、三者の間には他人からは理解しがたい、共依存を超えた支え合いの関係が築かれているようです。
病との闘いと再起
2021年、原田さんは双極性障害(躁うつ病)の治療を受けていることを公表。これに伴い、SNSには精神的な不調を訴える投稿が増えていきます。
この困難な時期、原田さんを支える力となったのが、帯金さんや帯金さんの夫の献身的なサポートだったそうです。
そして、2023年、原田さんは自己変革と再起への道へ乗り出します。
その鍵となったのが、キックボクシングへの挑戦。
うつ病でベッドから起き上がれない日もある中、それでも懸命にジムに通い続けるうち、原田さんにとってキックボクシングは単なる運動以上の意味を持つようになり、実際に原田さんの人生に大きな変化をもたらします。
何と、キックボクシングの試合で勝利!
この勝利をきっかけに自信を取り戻し、SNSにはポジティブな投稿が増加。心身ともに健康を取り戻していく過程が、フォロワーたちにも伝わっていきました。
さらに、高校時代の演劇仲間が演出する舞台の劇中歌を担当するなど、現在では再び創作活動の場を広げています。
キックボクシングを通じて得た強さと自信が、原田さんの表現者としての活動にも良い影響を与えているのが、今現在の状況のようです。
このように、キックボクシングへの挑戦は、原田さんの再起の象徴となり、精神的な苦難を乗り越え、新たな自分を見出していく挑戦過程そのものが、原田さんの再生の物語となったのです。
まとめ
原田浩司さんの経歴は、一般的なキャリアパスから外れた独自の軌跡を描いています。
- 早稲田大学卒業後のIT企業勤務から音楽活動への転身
- 「帯金ゆかりの公式ストーカー」という独特の表現
- そして双極性障害との闘いとキックボクシングを通じた再起
これらの経験は、紛れもない原田浩司さんのリアルなストーリーです。
そして、そんな原田さんのストーリーに惹きつけられたのが、帯金さんであり、帯金さんの夫なのだと思います。
もちろん、原田さんと出会ったことで、我々も彼のストーリーに惹きつけられはじめているのは間違いありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。