独創的な墨絵表現で世界的な評価を得ている茂本ヒデキチさん。アスリートやミュージシャンを躍動感あふれるタッチで描く彼の作品は、伝統的な墨絵の概念を大きく覆すものとして注目を集めています。
そして2024年、待望の父娘二人展を開催。娘さんとの共演でも新たな話題を呼んでいます。
本記事では、そんな墨絵アーティスト、茂本ヒデキチさんと、役者として活躍する娘の香衣さん、注目の父娘のプロフィール、経歴に迫っていきます。
この記事でわかること
- 茂本ヒデキチさん・香衣さんのプロフィール
- 茂本ヒデキチさんの経歴
- これまでの活動
- 代表作
令和六年 干支御朱印 辰
— 下鴨神社 (@kamomioyajinja) November 9, 2024
オリンピックをはじめ多くの世界的コンテンツを
墨絵で表現する茂本ヒデキチ氏
により昨年12月にライブペイントで披露されました。
令和六年 下鴨神社干支御朱印 辰
12月末までまでの授与となります。
令和七年の干支 巳
に関しての作品公開詳細は近日公表致します。 pic.twitter.com/WmsOGd2CNe
墨絵アーティスト、茂本ヒデキチさん、そして娘さんの香衣さんについて興味のある方は、是非ご覧ください。
茂本ヒデキチ・香衣のプロフィール
父:ヒデキチ
- 生年月日:1957年6月16日
- 年齢 :67歳(2024年 時点)
- 出身 :愛媛県松山市
- 高校 :松山北高校
- 大学 :大阪芸術大学デザイン学科卒業
- 現職 :大阪芸術大学デザイン学科客員教授
幼少期から転校が多かった茂本ヒデキチさんにとって、絵を描くことは新しい環境での友達作りの重要なツール。物心ついた頃から落書きで一人遊びを楽しみ、その才能は周囲との関係づくりにも一役買っていました。
学時代はバスケットボールに打ち込み、高校に入学しても特に美術への強い興味はありませんでしたが、無意識のうちに漫画やイラストを描き続けていました。
大学の絵画専攻では受験時に作品提出が求められるため、作品の無かった茂本さんはデザイン系を選択。入学後は一転して、対象を細部まで徹底的に描く細密画に熱中。
今の墨絵とは全く異なるタッチでしたが、この経験が現在の基礎となっています。
道具に対する独特の考え方も、茂本さんの作風を特徴づけています。
筆は新品を好み、大量に購入して使用。新品の硬さから使用による柔らかさまで、筆の状態による表現の違いを作品に活かします。一方で紙には非常にこだわり、中国の水墨紙「画仙紙」を愛用。
スポーツ選手に例えて制作過程を語る言葉も印象的。
「日頃の鍛錬が大切。墨を持たないで3、4日旅行すると、もう描けません。アスリートが一瞬の本番のために長い期間調整するように、絵もそのくらいの真剣勝負が求められます」という言葉からは、アーティストとしての真摯な姿勢が伝わってきます。
娘:香衣
- 生年月日:1991年7月8日生まれ
- 年齢 :33歳(2024年 時点)
- 身長 :172cm(左利き)
- 職業 :俳優
SNSでの発信も積極的に行う ・2024年6月に父・ヒデキチとの二人展を開催予定
茂本香衣さんは、墨絵アーティストとして知られる茂本ヒデキチさんの娘として生まれ、現在は俳優として自身の道を歩んでいます。
新橋の昭和ポップスバーRetroやラーメン店「十味や」でのアルバイト経験を持つなど、芸能活動の傍ら、様々な経験を積み重ねてきました。
5年前にはテレビ東京の人気番組「家、ついて行ってイイですか?」に出演。深夜の経堂で偶然スタッフに声をかけられ、そのまま本物の撮影となるという珍しい経験。そしてその5年後となる2024年11月24日には、父・ヒデキチさんとともに同番組に再登場。
前回出演時に語った尊敬する父親との共演を、2024年6月に果たした香衣さん。約束を果たせて安心したのでは?
彼女は、SNSを通じた情報発信にも力を入れており、Twitter、Instagram、YouTubeで日常の一コマや活動報告を積極的に共有。
クリエイターのためのオリジナルグッズプラットフォーム「SUZURI」でも作品を展開するなど、多彩な才能を見せています。
- X:@kaicaixxx
- Instagram:@kaicai
- web:SUZURI(スズリ)https://suzuri.jp/kaicaixxx
- YouTube:www.youtube.com/@kaicai78
茂本ヒデキチさんの経歴
- 高校3年生の体育祭での巨大画制作がきっかけで美術の道へ
- 大学卒業後、デザイナーを経てフリーイラストレーターに
- 墨との出会いが転機となり、独自の表現スタイルを確立
イラストレーターとしての活動に行き詰まりを感じていた時期、茂本さんは自分のアイデンティティを模索していました。
多くのイラストレーターが直面する「匿名性」という壁にぶつかっていたのです。
ポスターや広告に使用される作品も、誰が描いたものか明かされることは稀。さらには「今人気のイラストレーター風に描けないか」という依頼も多く、自分の個性を発揮する機会が限られていました。
そんな中、黒人をモチーフにした作品を多く手がけていた経験から、墨絵という表現方法に出会います。試しに墨絵の筆に持ち替えて描いてみると、思いがけず素晴らしい作品が生まれました。この偶然の出会いが、「墨絵アーティスト」という独自の立場を確立するきっかけとなったのです。
これまでの活動
- 1985年 フリーイラストレーターとして独立
- 1991年~ ミュージックマガジンの表紙を担当
- 1993年 WOWOWで久保田利伸とライブペインティングで共演
- 2007年 初の画集「NEO BLACK」を発行
上記以外にも、テレビ東京の「ASAYAN」という番組の新人発掘コーナーに、当時40歳前後だった茂本さんが挑戦したのも印象に残ります。
若者向け番組への出演に迷いはありましたが、「世界に自分の絵を発信できるかもしれない」という思いで応募。6000人もの応募者の中から選ばれ、これを機にニューヨークでの個展開催が実現しました。
NYでの展示では興味深いエピソードも生まれています。黒人男性を描いた作品について、現地の黒人たちから「なぜ俺たちばかり描くんだ?」と問われた茂本さんは、「君たちが東洋や日本の精神的な部分に憧れるように、僕は君たちの肉体的な美しさに惹かれているんだ」と答え、理解を得たといいます。
2013年11月、九州でのイベントを終えて帰京した直後、自宅で体調が急変。自力で近所の病院に行き、そこから世田谷の病院へ緊急搬送。診断は急性心臓弁膜症。しかし、その後の回復は驚異的で、わずか数ヶ月後の2014年3月には仕事に復帰。
第一弾としてサッポロビールの「軍師官兵衛」の墨絵ラベルを手がけ、周囲を驚かせました。
このような経験を経て、2017年には日本文教出版の高校美術教科書に「新しい墨絵」として掲載が決定。伝統的な墨絵に新しい息吹を吹き込んだ功績が、教育の場でも認められることとなりました。
ちなみにオリンピック開催時には毎回のように招待され、墨絵パフォーマンスを披露しているのも有名なエピソードです。
代表作
- 羽田空港国内線ボーディングブリッジの81面アート作品
- 松山城ロープウェー駅舎の作品
- 坊っちゃん球場の作品
- 「NEO BLACK」画集収録作品
- 道後温泉の作品群
羽田空港の作品は、50年ぶりとなる外看板の設置として話題を呼びました。安全面での規制が厳しい空港での展示は、茂本さんの作品の質の高さを証明。
また、故郷・愛媛県の各所に残る作品群は、地域の文化的シンボルとしても重要な役割を果たしています。
舞子リゾート
— 索道野郎▷索道部 (@machisha7) October 26, 2024
今年も茂本ヒデキチ氏の素晴らしいイラスト健在です https://t.co/BitsQOpXo7 pic.twitter.com/oNJ1QSE51y
まとめ
墨絵という伝統的な画材を用いながら、現代的な表現を追求し続ける茂本ヒデキチさん。
その独創的な作風は、国内外で高い評価を受けています。特に、ライブペインティングでの圧倒的なパフォーマンスは、多くの人々を魅了し続けています。
「理解できない芸術こそが偉い」とは考えず、誰もが感動できる作品づくりを心がける姿勢は、現代アートの新しい方向性。
そして2024年、娘の香衣さんとの二人展という新たなチャレンジ。
今後は茂本ヒデキチさんはもちろん、娘の香衣さん、そして茂本親子の活動から目が離せませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。