ネタバレ感想!映画『八犬伝』あらすじ考察・ラストの意味は?

2024年公開の映画『八犬伝』は、江戸時代の文豪・滝沢馬琴が生み出した『南総里見八犬伝』の背景とともに、彼が抱える葛藤や人間関係を通して描かれる壮大な物語です。

本作では馬琴の生涯を基にした「実」のパートと、彼が紡ぐ物語の世界「虚」のパートが交互に描かれ、二重構造で進んでいきます。

馬琴の理想や信念が「虚」の中でどのように形を成し、現実での苦しみや愛がどのように彼を支えたのかを探っていきましょう。

この記事でわかること
  • 映画『八犬伝』の構成とあらすじ
  • 馬琴と北斎が交わす創作論 – 「虚」と「実」の境界線
  • 馬琴の家族との関係と創作への影響
  • 『八犬伝』ラストの意味と考察
  • 映画『八犬伝』感想 – ファンタジーと現実が生み出す感動

2024年公開の映画『八犬伝』について興味のある方は、是非ご覧ください。

目次

映画『八犬伝』の構成とあらすじ

構成

映画『八犬伝』は、滝沢馬琴の実人生を背景に、現実と虚構が交錯する物語です。以下のように2つのパートが交互に描かれる構成です。

「実」パート

江戸時代に生きる馬琴が、家族や北斎との交流を通じて創作と人生を探求する部分です。家族の死、病、経済的困窮など、彼が背負う現実の試練と、その中で自らの理想を描こうとする葛藤が描かれます。

「虚」パート

馬琴が創作した『南総里見八犬伝』の中で、八犬士たちが勧善懲悪の物語を繰り広げる部分です。馬琴が理想とする正義が虚構の世界で具現化され、観客は彼が紡ぐ理想世界に浸ることができます。

この構成により観客が、馬琴がなぜ「虚」を描き続けたのか、そして現実をどのように受け止めていたのかを理解する助けとなり、彼の理想を追求する心情に共感を抱くようになります。

あらすじ

映画の冒頭、馬琴は八犬士の物語の構想を練り始め、困窮した生活の中でも理想の物語を描き続けます。彼の創作意欲を刺激したのは、画家の葛飾北斎や、義理の娘であるお路との出会いです。

馬琴の「虚」の中で勧善懲悪を描こうとする理想が、北斎やお路との交流を通じて強固なものとなり、次第に物語に厚みを持たせていきます。

このように、馬琴が虚構に託す希望は彼の現実の苦しみから生まれたものであり、劇中ではその対比が巧みに描かれていきます。

馬琴と北斎が交わす創作論 – 「虚」と「実」の境界線

馬琴と北斎の対話は、映画の中でも特に重要なテーマである「虚」と「実」の境界を探る象徴的な場面です。

馬琴の立場

「勧善懲悪の理想」を描くことで、人々に希望を届けたいと考えています。彼にとって創作は単なる空想ではなく、正義が報われる理想の実現手段です。

北斎の立場

現実に軸足を置き、虚構の役割に懐疑的な立場で馬琴に問いかけます。北斎は馬琴の物語が現実とかけ離れていると感じ、「なぜ虚構を描くのか?」と馬琴に投げかけます。

この二人の対話を通じて、馬琴は創作における「虚」と「実」のバランスを改めて考えるようになります。北斎の現実主義的な視点が馬琴にとって批判であると同時に創作の刺激にもなり、彼の物語に深みを加えていく展開。

馬琴と北斎の友情と対話は、観客に対しても「虚構が現実に何をもたらすか」という問いかけを残し、映画を通じた強いメッセージ性を感じさせます。

馬琴の家族との関係と創作への影響

馬琴にとって家族は、創作と生きる支えとなる大切な存在であり、特にお路は物語完成に不可欠な役割を果たします。馬琴が失明した後、お路が彼の言葉を記録し、物語の完成に導く姿は家族の愛情、そして信頼の象徴です。

息子宗伯との関係

馬琴は息子の早逝に対し、無力感や罪悪感を抱えながらも、「虚」の物語に正義が報われる理想を投影します。宗伯の死は彼にとって大きな試練であり、それを埋めるように物語に希望を託しました。

義理の娘お路の存在

お路は、馬琴の失明後、彼の創作を支え続けました。彼女は当初漢字も読めませんでしたが、馬琴から学びつつ口述筆記を進め、彼の理想を現実のものとして形にします。

このように家族が創作の中に関わり、馬琴の「虚」が「実」として完成するのです。

お路が筆記を通じて物語を完成させる姿は、家族や身近な人の支えがいかに「虚」を「実」へと昇華させるかに重要であるかの象徴。

そして、馬琴の理想は一人で描いたものではなく、家族と共に作り上げられた「実」として、「作品」として今も残っています。

『八犬伝』ラストの意味と考察

映画のラストシーンは、馬琴が「虚」を超えた理想を現実に残す象徴的な場面として描かれています。

ラストの象徴性

馬琴は両目を失いながらも、『八犬伝』を完成させることを決意。義理の娘お路が手伝い、彼の創作が完成に至るまでを共に歩んだ瞬間、虚構と現実が一体となるような感動的なシーンが映し出されます。

八犬士の出現

馬琴の想像の中で八犬士が現れ、彼を迎え入れる場面が描かれます。これは、彼が創り上げた物語の中で生き、理想が現実に引き継がれる瞬間を象徴しています。

また、「日本文学最大の奇跡」として称される、28年にわたり構想を続けた作品が、お路の手によってわずか8ヶ月で完成したというエピソードも、この映画のラストに深みを与えています。

このエピソードは、馬琴が八犬伝を「虚」として描きながらも、最終的には「実」として他者によって完結され、後世に残されていくことに意味を持たせています。

映画『八犬伝』感想 – ファンタジーと現実が生み出す感動

映画『八犬伝』は、「虚」と「実」のパートが交互に描かれることで、馬琴の抱える葛藤や家族との絆が鮮明に浮かび上がります。

「虚」のパート

八犬士が勧善懲悪の物語を展開し、ファンタジーの中で彼らが果たす役割が、観客に理想世界を堪能させてくれます。ここでの戦いや正義の描写は、現代の観客にも共感を呼ぶ要素です。

「実」のパート

馬琴が抱える家族関係や創作の葛藤が描かれ、虚構と現実のギャップに悩む姿が描かれます。彼にとって創作がどれほどの意味を持ち、また家族や友人が彼にとっての支えであることが強調されています。

また、この二重構造の中で、現実と虚構がいかに影響し合い、馬琴の理想がどのように実現に至るかが観客に示されています。

創作が単なるファンタジーの域を超え、現実世界と深く結びつき、家族と共に生き続ける姿は、馬琴が創り上げた八犬伝の力そのものであると感じられるでしょう。

まとめ

映画『八犬伝』は、滝沢馬琴の生涯と彼が紡ぎ続けた「虚」の物語が、彼の人生の「実」として後世に残される様を描いた作品です。

馬琴が家族や仲間に支えられながら築き上げた「虚」の世界は、彼の人生そのものであり、同時に創作の果てに彼が追い求めた理想の結実でもあります。

「日本文学最大の奇跡」としての意義

馬琴の理想と努力が28年という歳月の後、家族の力によって完成されたことは、創作が個人の夢を超えていくことを象徴。そして、馬琴が生み出した「虚」が現実に結びつき、今も残り続けている「実」となっている奇跡がここにあります。

映画『八犬伝』は、現実の厳しさと理想の希望が交錯する物語です。滝沢馬琴という人物が生涯を通して追い求めた理想を、ファンタジーと現実の交錯により描いた本作は、全ての人にお勧めできます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

管理人の0107(オトナ)です。

これまでの経歴
・営業・マーケティングの仕事歴30年
・海外での生活10年
・人間心理のエキスパート

自分を支えてきたあらゆる物・人への好奇心。そのアンテナに引っかかった情報を、斜め上からの視点、オトナの視点でまとめて行きたいと考えています。

時事ネタ、芸能・スポーツネタから、お店の情報に至るまで、幅広い情報をわかりやすくまとめていきますので、読者の皆様の情報入手の効率化に役立つことが出来れば、何より嬉しく思います!

目次