2013年10月29日、トルコ共和国建国90周年の記念すべき日。イスタンブールの街はお祭りのような熱気に包まれていました。
この日、構想から150年の時を経て、ついにボスポラス海峡横断鉄道が開通したのです。
水深60mという世界最深部での海底トンネル建設。「不可能」と言われたプロジェクトを成功に導いた日本人技術者、大成建設の小山文男氏の挑戦の軌跡を追います。
- 小山文男の経歴とプロフィール
- ボスポラス海峡トンネルへの挑戦
- プロジェクトの遺産
- ボスポラス海峡海底トンネルとは
次の新プロ面白そう!!
— いたる (@itaru068) November 28, 2024
トルコのボスポラス海峡の海底トンネル!!https://t.co/RtJed3e9oD
今後も語り継がれていく物語、ボスポラス海峡トンネル工事の主人公、大成建設の小山文男氏について興味のある方は、是非ご覧ください。
小山文男氏の経歴とプロフィール
小山文男氏は、日本を代表する建設会社、大成建設において海洋土木のスペシャリストとして活躍してきた技術者です。
幼少期から若戸大橋など大規模な土木構造物に強い関心を持ち、大学では海洋構造物の研究に取り組みました。
大成建設入社後は、数々の海洋構造物建設プロジェクトでキャリアを積み、ボスポラス海峡横断トンネルプロジェクトでは海底トンネル工事作業所長として陣頭指揮を執ることになります。
その後、2014年には調達本部副本部長に就任し、2021年には土木本部洋上風力発電プロジェクト部技師長として活躍。特に海洋土木分野における功績は顕著で、ボスポラス海峡での世界最深部における沈埋トンネル施工の成功により、国土交通大臣賞を受賞しています。
トルコのボスポラス海峡横断プロジェクトでは、約5年間にわたり現地に赴任。日本国内で培った沈埋トンネル工事の経験を活かし、世界が「不可能」と評した難工事を成功に導きました。
このプロジェクトは、「トルコ150年の夢」と呼ばれる国家的事業であり、その完遂は日本の技術力を世界に示す最高の舞台。
その舞台上の千両役者の一人は間違いなく小山文男氏でした。
プロジェクトを通じて小山氏は、現場での技術的課題への対応だけでなく、国際的なチームのマネジメントでも手腕を発揮。
特に地元企業2社とのJVでは、各社の強みを活かした工区分けと緻密な調整により、円滑な工事進行を実現しました。また、トルコのエンジニアや労働者の育成にも尽力し、日本の技術の伝承者としての役割も果たしています。
ボスポラス海峡プロジェクトでは、世界最深部での施工という未知の課題に対し、1年間におよぶ詳細な海流観測データの収集と分析を行い、独自の施工システムを開発。この過程で培われた技術は、後の海洋土木工事の新たな標準となっています。
アジアとヨーロッパを分断するボスポラス海峡を海底トンネルで繋ぐ鉄道マルマライに乗ってハルカリ駅へ。列車は日本と比べると少し幅広だろうか。静かで揺れも少なく快適な鉄道だ。 pic.twitter.com/V7C0hF3rgG
— ちょび丸 (@chobimaru_sauna) September 21, 2023
ボスポラス海峡トンネルへの挑戦
150年の夢との出会い
1999年、日本の有償資金協力によりボスポラス海峡横断鉄道建設プロジェクトが始動しました。小山氏がこのプロジェクトに関わることになったきっかけは、入札前の技術検討段階でした。
当時、ボスポラス海峡の潮流データは限られており、施工可能性の判断が難しい状況でした。しかし小山氏は、この未知の挑戦に技術者としての使命を感じ取ります。
プロジェクト事務所に一枚の図面が飾られていました。それは1860年代、オスマン帝国時代に描かれた海底トンネルの構想図でした。この図面を前に小山氏は、技術者として夢の実現に携わる決意を固めたと言います。
技術的課題との格闘
ボスポラス海峡での工事は、予想を超える困難の連続でした。特に深刻だったのは、海峡特有の二層流の存在です。表層と深層で流れの向きが逆になる現象は、函体の設置作業に大きな影響を及ぼしました。
ある日の函体設置作業中、予測を超える強い海流に遭遇します。作業の続行か中止かの判断を迫られた小山氏は、チーム全員の安全を第一に考え、即座に作業中止を決断。
この判断は後に賢明な決定だったことが判明します。詳細な海流データ解析により、この海域特有の深層流の存在が確認され、これが新たな施工方法の開発につながったのです。
革新的解決策の開発
プロジェクトチームは、1年間にわたる詳細な海流観測を実施。得られたデータを基に、36時間先までの潮流を予測するシステムを開発しました。これは、世界で初めての試みでした。
特筆すべきは、このシステムがインターネットを活用して関係者間でリアルタイムに情報共有できる仕組みだったことです。国際プロジェクトならではの時差の問題も、このシステムにより解決されました。
地域との絆づくり
工事期間中、小山氏は地域コミュニティとの関係構築にも力を注ぎました。工事現場近くの小学校の児童たちに工事意義を説明する授業を実施。その結果、将来、土木技術者になることを決意した生徒もいたと聞きます。
また、地元の技術者育成にも熱心に取り組みました。「技術の伝承は、プロジェクトの重要な遺産 の一つ」という小山氏の信念に基づく取り組みでした。
プロジェクトの遺産
イスタンブールの変容
2013年の開通から、マルマライ鉄道はイスタンブール市民の生活に革新的な変化をもたらしています。フェリーで30分以上かかっていた大陸間移動が、わずか4分で可能に。
これにより、アジア側とヨーロッパ側の一体化が進み、都市の発展に新たな1ページを開きました。
技術革新の証
ボスポラス海峡トンネルの建設で開発された技術は、その後の世界の海洋土木工事に大きな影響を与えています。特に、複雑な海流条件下での施工技術は、新たな技術標準として認識されています。
日本とトルコの絆
このプロジェクトは、120年前の和歌山県沖でのトルコ軍艦エルトゥールル号救助から続く、日本とトルコの友好関係を更に深めるものとなりました。
開通式では、両国の首脳が出席し、技術協力を通じた友好の象徴として称えられました。
海底トンネルを通る地下鉄で、ボスポラス海峡横断、アジア側の街カドキョイへ!
— サカナ/高橋咲(演出助手と旅人やってます) (@sakanasaki1) September 29, 2024
この地下鉄は、耐震技術を含め日本の援助で作られたそうです。国交100周年の記念看板がたくさんありました。
カドキョイのマーケットはまた雰囲気が違くてよき!!念願の屋台ムール貝パクやりました✌️ pic.twitter.com/kWa13kIXgj
ボスポラス海峡海底トンネルとは
イスタンブールの街を二分するボスポラス海峡。この地は古くから「東西文明の十字路」として栄え、アジアとヨーロッパの交流の要所でした。しかし同時に、この海峡は都市の発展における大きな障壁でもありました。
水深約60m、最大流速2.5m/秒という世界有数の難所に建設された海底トンネル。全長13.6kmのうち、海峡部分1.4kmは11個の巨大なコンクリート函体を海底で接合するという画期的な工法で建設されました。一つの函体は長さ135m、重さ1万8,000トンという巨大な構造物です。
この建設には、三つの大きな技術的挑戦がありました。一つは世界最深部での函体の設置。二つ目は、上下で逆向きに流れる二層流への対応。そして三つ目は、年間6万隻もの船舶が行き交う国際海峡での安全な工事の実施です。
特に函体の設置作業は、まさに神経を使う綱渡りのような作業でした。巨大な函体を数センチの誤差も許されない精度で設置しなければならない。しかも、その作業は潮流の影響を受けやすい海中で行われます。
一つでも失敗すれば、プロジェクト全体が危機に瀕する可能性がある。そんな緊張の中、11個全ての函体の設置に成功したのです。
2013年の開通後、このトンネルは一日約180万人の人々の往来を支えています。かつて「不可能」と言われた場所に建設された鉄道トンネルは、今やイスタンブール市民の生活になくてはならない存在となっています。
地震の多発地帯という条件も、日本の耐震技術により克服されました。トンネルは最大震度9の地震にも耐えられる設計となっており、災害時には避難路としての機能も果たすことができます。
まさに、このトンネルは現代の土木技術の結晶と呼ぶにふさわしい建造物です。それは同時に、技術者たちの執念と、二つの国の協力が実現させた人類の偉業でもあるのです。
まとめ
小山文男氏の功績は、単なる技術的成功を超えて、大きな社会的意義を持つものでした。不可能を可能にした技術力、国際チームをまとめ上げたリーダーシップ、そして地域との信頼関係構築。これらの要素が一体となって、150年の夢は現実となりました。
このプロジェクトが教えてくれるのは、技術とは単なる問題解決の手段ではなく、人々の夢を実現し、国と国との絆を深める力を持つということです。
小山氏の挑戦は、これからの国際プロジェクトに携わる技術者たちへの重要な指針となるでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。