群馬県高崎市で、希少な大衆食堂の文化を守り続ける「冨士久食堂」。その秘密は、お店を経営する齊藤ファミリーの強い絆にあります。
この「冨士久食堂」がどのようにして三代にわたり続けてきたのか、本記事ではその歴史を調査しました。
- 冨士久食堂の創業物語
- 齊藤ファミリーのプロフィール・経歴
- 冨士久食堂の人気メニュー
- 冨士久食堂・人気の秘密
群馬県高崎市に三代続く人気の大衆食堂、「冨士久食堂」について興味のある方は、是非ご覧ください。
冨士久食堂の創業
冨士久食堂の歴史は1965年、初代店主の齊藤昭夫さんが18歳のときから働いていた食堂からの暖簾分け、独立から始まりました。
昭夫さんはその時点で21歳の若さ。早くも自分のお店を持つという夢を実現したのです。そこからは、お店を続けるため懸命な努力を続けます。
創業当初は経済的に厳しい状況でしたが、高崎市八幡にあった工業団地で働く労働者たちが少しずつ常連となり、次第にお店も安定。
夜になると、労働者たちが集まり、食事を楽しみながら将棋を指すなどして過ごすことで、冨士久食堂は人々が集う社交場のような場所へと成長していきました。
齊藤ファミリーのプロフィール・経歴
初代店主・齊藤昭夫さん
初代店主の齊藤昭夫さん(81歳)は若いころから食堂でアルバイトをしており、21歳のときに独立。当初はお金も少なく、お客さんも少ない状況でしたが、少しずつお客さんが増え、賑やかで居心地の良い場所にお店を育てていきました。
昭夫さんのスタイルは「楽しみながら人をもてなす」こと。現在、昭夫さんは病気療養中ですが、その思いは家族にしっかりと受け継がれています。
二代目・齊藤英昭さん
二代目を引き継いだのは、東京のホテルのレストランで修行した次男の齊藤英昭さん(54歳)。英昭さんは結婚を機に実家に戻り、食堂を手伝うように。
彼のレストランでの経験は冨士久食堂に新しい風を吹き込みましたが、それでも昭夫さんの味を大切に守り続けています。英昭さんの料理の技術は高く、その繊細な味わいは多くのお客さんに喜ばれています。
三代目・齊藤大斗さん
三代目の大斗さん(32歳)は、子供のころから料理が好きで、大学時代も飲食店でアルバイトをしていました。
早く結婚して家庭を持ちたいという夢があり、家業を手伝うことを決意。現在は新しいメニューを考えたり、自分のスタイルを出しつつ、祖父と父の味を大切に奮闘中です。
ムードメーカー・齊藤政子さん
昭夫さんの妻である政子さん(77歳)は、現在もお店のムードメーカーとして大活躍中。
昭夫さんが病気療養中の間も、政子さんはその明るさと元気でお客さんを迎え、店を支えています。政子さんの存在が、お店全体の温かい雰囲気を作り、お客さんにとっても大きな魅力となっています。
冨士久食堂の人気メニュー
自家製餃子のこだわり
冨士久食堂で長年愛されている人気メニューのひとつが「自家製餃子」。この餃子は、皮から具材まですべて手作りで、薄くてパリッとした皮が特徴です。
野菜たっぷりの具材にはニンニクが効いており、食べるとどんどん食欲が湧いてくると大人気。多くの常連客がこの餃子を目当てに通っています。
ニラ玉ラーメンと焼肉定食の魅力
ほかにも人気のメニューには「ニラ玉ラーメン」と「焼肉定食」があります。
ニラ玉ラーメンは、しょう油ベースのトロッとしたスープにふわふわの玉子が浮かんでいて、どこか懐かしい味わい。一方の焼肉定食は、甘辛いタレで味付けされたボリューム満点の焼肉で、白ご飯がどんどん進む一品。
この2つのメニューに代表されるようなボリューム感と味のバランスが、大衆食堂である冨士久食堂の魅力です。
冨士久食堂・人気の秘密
昭和の風情と現代の挑戦
冨士久食堂は昭和の懐かしい雰囲気をそのままに残した大衆食堂。店内には創業当時から使われているメニュー札があり、昭和の風情を感じさせます。
一方で、大斗さんは新しいメニューを積極的に考え、若い世代にも受け入れられるようなメニュー開発にも挑戦中です。
家族で作る温かい食卓
冨士久食堂が地元の人々に愛され続けている理由のひとつは、家族みんなで切り盛りしている、その温かさです。現在、昭夫さんは病気療養中ですが、英昭さん、大斗さん、そして政子さんの三人が中心となり、家族が協力して働く姿は、お客さんにとって居心地の良い場所となっています。
冨士久食堂が持つ、ただ食事を提供するだけでなく、人と人とのつながりを感じさせる場の力がお客さんを惹きつけるのです。
まとめ
冨士久食堂は、ただの大衆食堂ではありません。三代にわたって家族で営み、地元の人々に愛され続けてこれた理由には、温かい家族の絆と、続けていこうという強い思いがあります。
現代の飲食業界では後継者問題が大きな課題ですが、冨士久食堂は親子三代が力を合わせてこの課題を乗り越え、大衆食堂の文化を守り続けています。
齊藤ファミリーが引き継いできた「冨士久食堂」の味と温かさは、これからも高崎市で色褪せることはないはず。この食堂は、ただお腹を満たすだけでなく、心も温かくしてくれる場所です。
これからも家族の力で、この大衆食堂の歴史が続いていくことを応援しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。