テキサス州ジェニファー事件!真相・犯人・現在【衝撃ファイル】

「彼は警察官だと言った。でも、私は何かがおかしいと感じていた」

1990年8月、テキサス州の閑静な住宅街で、8歳の少女が自室の窓から誘拐されました。喉を切り裂かれ、野原に打ち捨てられた少女は、14時間後に奇跡的に発見。この衝撃的な事件の真相究明には、実に19年もの歳月を要することになります。

捜査官たちの執念、DNA鑑定技術の進歩、そして何より被害者となった少女の不屈の闘志により、2009年、ついに犯人が逮捕。

「私は被害者ではなく、勝利者です」と語る被害者、ジェニファー・シュエットさん。

本記事では、この言葉に隠された、彼女が経験した壮絶な出来事、その克服の過程について詳しくお伝えします。

この記事でわかること
  • 事件の概要
  • 事件直後の捜査
  • 19年間の闘い
  • 逮捕への転機
  • 犯人の自白と死
  • 事件解決後の人生

テレビ番組『(秘)衝撃ファイル』でも紹介。1990年8月に発生し、2009年に犯人逮捕となった、アメリカ・テキサス州でのジェニファー事件について興味のある方は、是非ご覧ください。

目次

事件の概要

  • 1990年8月10日、テキサス州ディキンソンで発生
  • 被害者のジェニファー・シュエットさんは当時8歳
  • 夜間、自宅の寝室から何者かに連れ去られる
  • 犯人は警察官を名乗り、少女を車に連れ込む
  • 性的暴行を受けた後、喉を切られて野原に放置される

事件当日、2階にある母親の部屋ではなく、1階の自分の部屋で就寝することにしたジェニファーさん。この何気ない選択が、後の悲劇につながります。

ヨークタウンアパートと呼ばれるこの住居は、地上階の窓が道路からすぐの位置にあり、外部からのアクセスが非常に簡単な構造。犯人は開いていた窓から容易に侵入することができました。

目が覚めた時、彼女は見知らぬ男に抱きかかえられ、歩道を走って運ばれていました。叫ぼうとした瞬間、男は彼女の口と鼻を覆います。そして車の中、自分の膝の上に彼女を座らせたまま「大丈夫だよ、僕は警察官だから」と、恐怖に震える少女を安心させようとする犯人。

しかし8歳とはいえ、ジェニファーさんは学校で習った「見知らぬ人には気をつけて」という教えを思い出し、重大な危険が迫っていることを直感的に理解していました。

そして、意識を失ったジェニファーさんが発見されるのは14時間後となります。

事件直後の捜査

  • 現場からは被害者と犯人の衣服が発見
  • ジェニファーの証言によると、犯人が名乗った名前は「デニス」
  • 似顔絵を作成(驚くほど実物に近いことが後に判明)
  • しかし、19年間も事件は未解決に

捜査が難航した理由は、大きく3つに分類できます。

【初動捜査の問題】

  • 事件発生から14時間後の被害者発見による初動の遅れ
  • ディキンソン警察署はわずか4名(警察官3名、刑事1名)の小規模体制
  • 人員不足で広範な捜査区域のカバーが困難
  • 証拠品の収集に時間がかかり、現場保存が不十分

【DNA鑑定技術の限界】

  • 1990年当時は大量のDNAサンプルが必要
  • 発見された衣服からは十分な量のDNAを採取できず
  • 微量のDNAからの個人特定は不可能

【捜査範囲の問題】

  • 犯人は「デニス」と本名を名乗っていたが、当時はその情報だけでは容疑者を特定できず(事件当時、被害者宅の近くに犯人住所があったが、その事実は後年まで判明せず)
  • 当時は他州での犯罪歴を即座に確認する体制が整っていなかった

喉を切られ、ジェニファーさんは声を失っていましたが、彼女は驚くべき記憶力と冷静さで、メモを通じて犯人の特徴を詳細に伝え、正確な似顔絵の作成にも貢献しています。

最大の問題は、「デニス」という情報と似顔絵があっても、それを照合できる捜査体制や技術が整っていなかったこと。

後にDNAデータベースが整備され、州を超えた犯罪歴の照会が可能になったことで、はじめて犯人の特定につながっていくことになります。

19年間の闘い

  • 事件後も諦めることなく犯人を探しを継続
  • 大学卒業後は地元の公共図書館で児童司書として勤務
  • この間、新しい捜査官の着任を何度も経験
  • そして18年目、新たな転機が訪れる

「毎日、ディキンソンの町を歩きながら、犯人を探し続けていました。新しい隣人かもしれない、郵便局にいる人かもしれない、食料品店にいる誰かかもしれない…。彼は私を見ているのか、私を殺しに戻ってくるのか…そんな不安と恐怖の中で生きていました」、ジェニファーさんの切実な言葉です。

事件の担当捜査官は何度も交代し、その度に最初から事件の説明を繰り返さなければなりませんでした。それは家族にとっても大きな精神的負担となり、次第に事件について話すことさえ避けるようになっていました。

しかし、決して諦めないジェニファーさん。そして、その強い意志は、18年目、ついに新たな展開を招き寄せます。

「定年まで、あなたの事件の解決に全力を尽くす」というクロミー新任捜査官、そしてそこに加わったFBIのリチャード・レニソン捜査官。この二人の登場で、事件は大きな転機を迎えることに。

彼女の揺るぎない意志こそが、最終的な事件解決への道を開くことになったのです。

逮捕への転機

  • 2008年、新任のクロミー刑事が事件を担当
  • DNAの再鑑定をFBIに依頼
  • 全米DNAデータベースとの照合で容疑者が判明
  • デニス・アール・ブラッドフォードの特定に至る

事件発生から18年。なぜこの時期に突然、事件は解決に向かったのでしょうか。

実は犯人は、1990年の事件当時、ジェニファーさんの自宅近くに住んでいました。そして、自分の本名「デニス」を被害者に告げ、その特徴も正確に似顔絵として残されていたのです。

しかし、当時のディキンソン警察には、地域住民の情報を系統的に調査できるデータベースさえありませんでした。「デニス」という貴重な手がかりを活かすことができなかったのです。

その後、犯人のブラッドフォードは1996年、アーカンソー州で再び同様の暴行事件を起こします。この時の有罪判決により、彼のDNAが全米データベースに登録されることに。

そして2008年、新たに着任したクロミー刑事は、FBIの協力を得て、当時保管されていた証拠品のDNA再鑑定を依頼します。1990年には不可能だった微量DNAの分析が、科学技術の進歩により可能になっていたのです。

この再鑑定により得られたDNAと、全米データベースに登録されていたブラッドフォードのDNAが一致。さらに、彼の1990年当時の運転免許証の写真は、ジェニファーさんの説明を基に作成された似顔絵と驚くほど一致していました。

19年という歳月を経て、科学技術の進歩と、捜査機関のデータベースの整備が、ようやく事件解決への道を開いたのです。皮肉なことに犯人は、自らが起こした別の犯罪によって、自身の居場所を明らかにすることになったのでした。

犯人の自白と死

  • アーカンソー州で逮捕された犯人
  • 最初は否認するも、長時間の取り調べで自白
  • さらに衝撃的な事実が判明
  • そして、裁判を待つ身柄拘束中に自死

ブラッドフォードは取り調べで、最初は頑なに否認を続けました。「ジェニファー・シュエット?」という問いには「はい、知っています」と答えながらも、事件については「いいえ」と強く否定。

しかし、捜査官たちの粘り強い取り調べにより、彼は次第に心を開き始めます。「一日たりとも、あの子のことを考えない日はなかった。私は病んでいて、狂っていた」と告白を始めたのです。

そして驚くべきことに、事件直後の出来事も語り出しました。自責の念に駆られた彼は拳銃で自殺を図ったものの、引き金を引く直前に思いとどまったといいます。

その後、精神科病院に運ばれましたが、皮肉なことにそれは、ジェニファーさんが治療を受けていた同じ病院だったのです。

こうして全ての真実が明らかになりかけた矢先、予期せぬ出来事が発生。裁判を待つ身柄拘束中、ブラッドフォードは独房で自ら命を絶ったのです。

事件解決後の人生

  • 結婚し、二児の母となる
  • 犯罪被害者支援活動に従事し、講演活動を通じて自身の経験を語る

事件から34年。現在42歳となったジェニファーさんは、8歳の時に奪われかけた人生を、自らの力で切り開いてきました。

「私には声があります。そしてその声で、自分の物語を語り続けることができる。それは他の人々に希望を与えるためです」

19年という長い苦悩の時を経て、彼女は新たな使命を見出したジェニファーさん。それは、自身の経験を通じて、困難に直面している人々に希望を届けること。

彼女の人生は、深い傷を負いながらも、それを乗り越えて新たな未来を切り開くことができるという、生きた証となっているのです。

「これが私の幸せな結末です」と語る彼女の言葉には、強い説得力があります。なぜなら、それは19年もの闘いを経て、自らの力で掴み取った幸せだからです。

まとめ

テキサス州で起きた8歳の少女への凶悪事件。犯人が名乗った「デニス」という名前は本名でしたが、1990年当時の捜査体制では、この重要な手がかりを活かすことはできませんでした。

19年後、DNA鑑定技術の進歩とデータベースの整備により、ようやく犯人・デニス・アール・ブラッドフォードが逮捕されます。しかし、裁判を待つ間に独房で自殺を遂げ、被害者が法廷で真実を語る機会は失われることに。

事件から34年。声を奪われた8歳の少女は、今では42歳。二人の子を持つ母となり、自身の経験を活かし、犯罪被害者支援の活動を続けています。

彼女の体に残る傷跡は、今や諦めなかった気持ちの「生きる証」。そして、そんな彼女の姿は、多くの人々に希望を与え続けているのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

管理人の0107(オトナ)です。

これまでの経歴
・営業・マーケティングの仕事歴30年
・海外での生活10年
・人間心理のエキスパート

自分を支えてきたあらゆる物・人への好奇心。そのアンテナに引っかかった情報を、斜め上からの視点、オトナの視点でまとめて行きたいと考えています。

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