災害医療の最前線で活躍するDMAT(災害派遣医療チーム)。
その中心人物である近藤久禎(こんどう ひさよし)氏は、東日本大震災からダイヤモンド・プリンセス号事案、そして新型コロナウイルス対応まで、日本の危機的状況において常に陣頭指揮を執ってきました。
本記事では医療現場の第一線で活躍し続ける近藤氏の軌跡を、プロフィール、経歴から辿りつつ、その背景にある思想や活動の本質に迫っていきます。
- 近藤久禎氏のプロフィール(学歴)
- 近藤久禎氏の経歴
- DMATとは?
- ダイヤモンド・プリンセス号での活動
高齢者が望む災害医療・福祉を 能登地震の教訓は、DMAT・近藤久禎次長に聞く #能登半島地震 https://t.co/xQdzJRwu6u
— 朝日新聞金沢総局【公式】 (@asahi_kanazawa) April 24, 2024
DMAT(災害派遣医療チーム)、近藤久禎(こんどう ひさよし)氏について興味のある方は、是非ご覧ください。
近藤久禎氏のプロフィール(学歴)
- 生年:1970年(54歳 2024年時点)
- 学歴:2004年3月 日本医科大学大学院医学研究科修了
1970年生まれ、54歳の近藤久禎(こんどう ひさよし)氏。多くの医師が臨床医としてのキャリアを歩む中、近藤氏は早くから災害医療に強い関心を持っていました。
学生時代から災害や国際保健医療に興味を持ち、指導教官が災害医療の専門家だったことが、その後の人生を決定づけることになります。
近藤久禎氏の経歴
- 2004年 :厚生労働省技官就任
*放射線医学総合研究所での被ばく医療担当(4年間) - 2009年 :国立病院機構災害医療センター教育研修室長
- 2010年 :厚生労働省DMAT事務局次長
- 2024年現在:独立行政法人国立病院機構災害医療センター・DMAT事務局次長
近藤氏の医師としての道のりは、通常の臨床医とは大きく異なる展開を見せます。
DMAT発足当初からのメンバーとして、2004年の中越地震では現場で救命活動に従事。この経験は、災害発生から10-12時間の「災害急性期」における医療チームの重要性を痛感させる契機となりました。
その後、北海道洞爺湖サミットやAPECなど、大規模な国際会議における医療警備も担当。これらの経験は、後の大規模災害対応における組織運営の基礎となっています。
その中でも特筆すべきは、放射線医学総合研究所での4年間の経験。この経験により得られた専門知識は、2011年の福島第一原発事故対応において極めて重要な役割を果たすことに。
東日本大震災発生時、近藤氏は当初、岩手県での災害対応に従事していましたが、原発事故の深刻化に伴い、その専門性を買われて福島へ異動となります。
福島では、半年間で100日以上を現地で過ごし、20-30km圏内の「屋内退避区域」に取り残された約500人の入院患者の救出作戦を指揮。放射線への恐怖から支援が届かない中、警察や自衛隊と連携して患者を圏外に搬送し、全員を無事に救出することに成功しました。
その後も、原発周辺での作業員の医療支援や、約1万4千人の住民の一時帰宅支援など、被ばく医療と災害医療の両方の知識を活かした活動を展開。この経験は、目に見えない脅威との戦いという点で、後のコロナ禍における対応においても大きな武器となります。
近藤氏の経歴の特徴は、机上の空論ではなく、常に現場で実践を重ねながら経験を積み上げてきた点。官僚としての経験と現場医師としての実践を併せ持つ稀有な存在として、日本の災害医療体制の発展に大きく貢献しています。
DMATとは?
- Disaster Medical Assistance Teamの略称
- 2~5人で構成される機動的な医療チーム
*医師1名以上、看護師2名以上、調整員1名以上が基本構成 - 災害発生後72時間以内の活動を主目的とする
DMATは、1995年の阪神・淡路大震災という痛切な教訓から生まれました。当時、倒壊した建物の下敷きになった多くの方々の命を救えなかった経験が、この組織の原点となっています。
しかし、2004年の中越地震では、発生から10-12時間という急性期に、わずか数組の医療チームしか現場に入れなかったという深刻な結果が発生。
この経験から、災害発生から24時間以内に被災地に到着し、救命活動を行えるチームの必要性が強く認識され、DMATが本格的な活動を開始するきっかけとなります。
DMATの活動は、一般的に想像される救急医療だけではありません。例えば、2008年の北海道洞爺湖サミットや横浜APECでは、国際会議における医療警備も担当。
首脳陣の緊急時対応から、大規模な傷病者発生に備えた待機まで、予防的な活動も重要な任務となっています。
東日本大震災での活動は、DMATの真価が問われた大きな転換点。発災後わずか1時間で要請を受け、全国から1,800人を超えるメンバーが被災地に向かい、その半数が12時間以内に現地入りするという迅速な対応を見せました。
特筆されるべきは、想定外の事態への対応力。当初、DMATは外傷やクラッシュ症候群への対応を主な任務としていましたが、震災では多くの病院が機能不全に陥る中、入院患者の広域搬送という新たな役割を担うことに。
200-300人規模の患者を一度に移送するという前例のない作戦を、自衛隊や消防、警察と連携して成功させています。
さらに、福島第一原発事故という想定外の事態でも、被ばく医療と災害医療を組み合わせた対応を展開。20-30km圏内の「屋内退避区域」に取り残された入院患者の救出や、住民の一時帰宅支援など、従来の災害医療の枠を超えた活動を実施しました。
DMATの真髄は、「支援(Assistance)」という言葉に象徴。現場に押しつける「指導」や「指示」ではなく、「現場に何を求められているのか」を徹底的に考える。支援する側の論理ではなく、支援される側のニーズに寄り添い、現場と協働して問題解決を図る姿勢を貫いています。
そして、この理念は、リーダー育成のための特別研修プログラムでも重視され、各地の災害拠点病院や県庁での指揮系統の確立に活かされています。
このように、DMATは単なる災害時の医療チームではありません。その活動は、平時の準備から、予防的活動、そして災害時の多様な対応まで、日本の危機管理体制の重要な一翼を担う存在として進化を続けているのです。
ダイヤモンド・プリンセス号での活動
- 2020年2月、3,711人の乗客・乗員を抱える大規模クラスター対応
- 船内での医療活動と患者搬送の二重体制を確立
- 神奈川県との連携による広域搬送体制の構築
ダイヤモンド・プリンセス号での対応は、偶然の準備が功を奏した事例といえます。直前に武漢からのチャーター機オペレーションがあり、関東地方にDMATの精鋭が集結していたのです。これは安倍首相(当時)の突然の指示によるものでしたが、結果として初動の迅速な対応を可能にしました。
しかし、当初のDMATの想定は大きく覆されることになります。最初の計画では、船外に救護所を設置し、そこで患者のトリアージと搬送を行う予定でした。ところが現場のチームから深刻な報告が入ります。船内では医療体制が完全に機能不全に陥っていたのです。
具体的には、「具合が悪い」という乗客の診療要請があっても、実際の診察までに3日もかかるケースが発生。さらに約2,000件の処方薬の要望があり、そのうち1,500件は「命にかかわる」重要なものでしたが、その対応も滞っていました。
この状況を打開するため、DMATは船内での医療支援を模索。しかし、ここで法的な壁に直面します。当時の法律では、検疫官でない人は検疫の現場である船内に入ることができなかったのです。
しかし、DMATや日本赤十字の医師たちの支援を実現するため、厚生労働省から現場に来ていた堀岡伸彦保健医療技術調整官が機転を利かせます。
その場でスマートフォンを使って医師たちの写真を撮影し、本省に送信。この写真を基に「臨時検疫官」の任命手続きを行うという前例のない対応を取ったのです。
この措置により、ようやくDMATの医師たちは合法的に船内での活動を開始。そして直ちに、60歳以上が8割を占める高齢者への医療提供体制の確立と、持病を持つ乗客への処方薬供給体制の整備に着手していきます。
一方、神奈川県では阿南英明医師が陣頭指揮を執り、患者の搬送調整という難題に取り組んでいました。
県内のコロナ対応可能な病床はわずか74床。それに対して1日最大99人もの陽性者が判明する事態に、阿南氏は「絶望的な気持ち」を感じながらも、解決策を模索し続けます。
そこで起こった奇跡は、近藤氏と阿南氏が、まったく別々に同じ発想に至ったことです。船内では近藤氏が下船の優先順位付けを、船外では阿南氏が搬送の優先順位付けを行い、両者の基準が完全に一致したのです。
これは「現場の知恵」の一致であり、後の日本のコロナ対策の基本方針となっていきます。
最終的に、宮城県から大阪府まで16都府県150の病院に769人の患者を搬送するという大規模なオペレーションが実現。各病院がコロナ患者への対応を経験することで、過度な恐れが解消され、受け入れ体制が整っていったのです。
このダイヤモンド・プリンセス号での経験は、その後「神奈川モデル」として体系化。日本のコロナ対策の基礎となっていきます。
具体的には、高齢者やハイリスク者への特別な配慮、軽症・無症状者のホテル・自宅療養、入院先マッチングシステムの確立、そしてICUの負担軽減のためのリソース最適化といった要素が確立されていったのです。
近藤氏と阿南氏の協力関係は、現場での実践を通じて、新たな危機管理のモデルを生み出したのです。
1/10水 #cozy1242
— ニッポン放送 飯田浩司のOK! Cozy up! (@cozy1242) January 10, 2024
飯田泰之@iida_yasuyuki
▼年明けマーケット動向
▼去年11月の実質賃金3.0%減
▼能登半島地震 被災地で感染症患者110人確認
DMAT事務局次長 近藤久禎
▼企業リーダーに聞く #森トラスト 伊達美和子社長
▼日本経済再生プラン#radiko で聞けますhttps://t.co/94p52aVjr9 pic.twitter.com/22wN5D3Pno
まとめ
近藤久禎(こんどう ひさよし)氏の活動は、日本の災害医療・危機管理体制の在り方を根本から変えつつあります。その特徴は、以下の3点に集約されます:
- 現場主義:常に最前線で状況を把握し、実効性のある対策を立案
- システム思考:個々の事象に対処するだけでなく、医療体制全体を視野に入れた対応
- 人間中心:感染症対策や災害対応においても、人々の生活や尊厳を最優先
今後の日本の医療体制において、近藤氏の示した方向性は、ますます重要になっていくでしょう。特に、形式的な対策ではなく、実質的な効果を重視する姿勢は、これからの危機管理の模範となるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。