2024年11月29日、横浜流星さん主演の映画『正体』が公開され、大きな反響を呼んでいます。
原作小説、ドラマ版、そして映画版。この3つの同作品は、それぞれ異なる手法で「冤罪」という重いテーマに挑戦。そして結果として、同じ物語でありながら、解釈の微妙に異なる作品が誕生することとなりました。
その理由には、メディアの特性だけでなく、私たちの社会が抱える問題に対する時代ごとの視点の変化が隠されているように思えます。
そこで、本記事では原作小説、ドラマ版、映画版の設定の違い、そして、その結果導かれる物語のラストシーンの違いについて考察して行きます。
- 『正体』3作品の基本設定比較
- 物語展開の違い
- 結末・ラストから見える各作品のメッセージ
- 社会派作品としての意義
/#映画正体
— 映画『正体』公式 (@shotai_movie) November 30, 2024
大ヒット御礼舞台あいさつ実施決定🎉
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📅日程:12/10(火)
①15:10の回 上映後舞台挨拶
②18:30の回 上映前舞台挨拶
📍会場:丸の内ピカデリー
【登壇者】#横浜流星、#吉岡里帆#藤井道人 監督(予定・敬称略)
▼詳細はこちらhttps://t.co/JGf3RS4k6b
横浜流星さん主演の映画『正体』、この作品が原作、亀梨和也さん主演のドラマとどのように違うのか? 興味のある方は、是非ご覧ください。
『正体』3作品の基本設定比較
事件の設定
- 原作 :一家3人殺害事件
- ドラマ:夫婦2人殺害事件
- 映画 :一家3人殺害事件(原作通り)
事件の設定の違いは、各メディアの特性を巧みに活かしたものです。原作とドラマの違いで特に注目したいのは、被害者の設定変更です。
ドラマ版で被害者を2人に減らしたことは、4話という限られた時間で物語を展開する上で効果的でした。しかし、それ以上に重要なのは、この変更によって被害者と加害者の関係性がより鮮明になったことです。
映画版が原作の設定に戻したのは、スクリーンという大きなキャンバスで描く物語として、より重い罪を背負った主人公の姿を描きたかったから? それは同時に、死刑制度という重いテーマに正面から向き合う、作品としての覚悟の表れでもあったように思えます。
真犯人の描き方
- 原作 :足利清人(模倣犯として後から判明)
- ドラマ:別の人物(詳細は明かされず)
- 映画 :足利清人(より詳細な背景描写あり)
真犯人の描き方の違いは、各作品が最も重視したテーマの違いを象徴しています。原作では真犯人の存在は事実関係を明らかにする要素として描かれ、ドラマでは真犯人の特定よりも冤罪を晴らすプロセスに焦点が当てられました。
一方、映画版で足利清人の描写により重きを置いたのは、単なる犯人探しの物語に終わらせないための選択だったと考えられます。
それは、加害者と被害者、そして冤罪によって人生を狂わされた者、それぞれの人生に深く踏み込もうとする制作側の意図があったのではないでしょうか。
物語展開の違い
視点人物の構成
- 原作 :鏑木と出会う人々の視点で展開
- ドラマ:鏑木を中心とした視点
- 映画 :鏑木と刑事・又貫の二軸で展開
視点人物の構成の違いは、各メディアの特性を最大限に活かした選択です。原作は文学作品として、複数の視点から人間の真実に迫ろうとしました。それは、一つの事件が持つ多面的な影響を描き出す手法として効果的でした。
ドラマ版が鏑木視点に集中したのは、テレビという媒体の特性を考慮した結果でしょう。4週に渡って視聴者の感情を維持するには、主人公への強い感情移入が必要だったはずです。
そして映画版が選んだ二軸構造は、最も野心的な試みだったと言えます。逃亡者と追う者、その両方の視点から真実に迫ろうとする構成は、現代社会における正義の在り方、相対性を問いかけているように感じます。
冤罪を証明する手段
- 原作 :支援者たちの地道な活動
- ドラマ:弁護士と支援者の法廷闘争
- 映画 :刑事・又貫による再捜査宣言
真実を明らかにする手段の違いこそ、各作品が制作された時代性を最も色濃く反映しています。原作が描いた地道な支援活動は、2000年代から2010年代初頭にかけて実際に起きた冤罪事件の支援活動を彷彿とさせます。
ドラマ版が選んだ法廷闘争という手段は、袴田事件の再審開始決定(2014年)以降、司法の場での救済可能性が高まってきた時代背景を反映しているのでしょう。
そして映画版でSNS、現場刑事による再捜査という手段を選んだのは、極めて現代的な選択。近年、組織の不正や社会問題がSNSを通じて露見するケースが増えています。この設定は、現代における「真実」の伝え方の変化を鋭く捉えていると言えるでしょう。
結末・ラストから見える各作品のメッセージ
ラストシーン
- 原作 :鏑木は警察に射殺され死亡、その後冤罪が証明される
- ドラマ:鏑木は撃たれるが生存、裁判で無罪を勝ち取る
- 映画 :鏑木は撃たれるが生存、傍聴席の反応から無罪判決が想像される
3つの作品で異なる結末が選ばれたことは、極めて示唆的です。原作の悲劇的な結末は、冤罪によって取り返しのつかない結果がもたらされることへの強い警告。死刑制度への根源的な問いかけが込められているとも言えます。
ドラマ版が選んだ「生存」という結末は、視聴者に希望を与えるための変更というだけではありません。それは、法システムを通じた救済の可能性を信じようとする、2020年代の社会の意志の表れとも読み取れます。
映画版の結末は最もポジティブ?なものとなりました。これは単なるハッピーエンドではなく、現代社会における「正義の実現」の新しい形を提示したものと解釈できます。組織の中にいる個人の良心が、真実を明らかにする原動力となる―――。それは、現代社会における希望の形なのかもしれません。
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社会派作品としての意義
時代背景の反映
- 原作(2013年) :冤罪事件への社会的関心の高まり
- ドラマ(2022年):再審請求の増加と司法への信頼回復
- 映画(2024年) :SNS時代における情報発信と真実の伝達方法
『正体』という作品は、それぞれの時代における社会の課題を鮮やかに映し出しています。2013年の原作発表時は、足利事件や布川事件など、冤罪の再審無罪が相次いで確定した時期でした。社会の関心が冤罪問題に向けられていた時代背景が、作品の基調を形作っているのです。
2022年のドラマ化は、袴田事件の再審開始決定から8年が経過し、司法の場での救済可能性が現実味を帯びてきた時期と重なります。同時に、コロナ禍を経て人々の絆の大切さが再認識された時代でもありました。
そして2024年の映画版は、SNSが社会を変える力を持ち得ることが証明された時代に作られました。内部告発や情報拡散が日常的になり、個人の声が社会を動かす原動力となり得る―――。そんな時代の空気が、作品の随所に反映されているのです。
問いかけているテーマ
- 原作 :個人の人生を奪う冤罪の非人道性
- ドラマ:司法制度における救済の可能性
- 映画 :組織と個人の良心、情報化社会における真実の在り方
3つの作品は、それぞれ異なる角度から「正義」という普遍的なテーマに迫っています。しかし、その本質的な問いかけは同じです。それは「人間の尊厳とは何か」という究極の問いです。
原作は冤罪によって奪われる人生の重さを、ドラマは人々の信頼によって支えられる正義の可能性を、そして映画は個人の良心が真実を明らかにする力を持つことを描き出しました。
これらの作品が投げかける問いは、私たちの社会に今なお重く響いています。なぜなら、正義の実現は終わりのない課題だからです。そして、その答えを探し続けることこそが、私たちの責務なのかもしれません。
まとめ
『正体』という作品は、10年以上の時を経て3つの異なる形で描かれ、その過程で大きな進化を遂げてきました。
物語の根幹にある冤罪や死刑制度という普遍的なテーマを保ちながらも、時代とともに変化する社会の課題に対して、それぞれの時代にふさわしい新たな視点を提示。
その中でも、特に興味深いのは映画版が提示した「組織の内部からの変革」という希望。これは、SNSによる情報拡散や内部告発が日常的となった現代だからこそ説得力を持つメッセージなのかもしれません。
- 人の「正体」とは何か
- 社会の「正体」とは何か
- そして正義の「正体」とは何か
これらの問いに対する答えは、時代とともに変化していくのかもしれません。『正体』の3つのバージョンは、それぞれの時代に生きる私たちに、その探求の旅が続くことを提示しています。
この作品が私たちに突きつけているのは、「真実」や「正義」は、もはや特定の組織や制度だけが独占できるものではないという現実。
そんな時代だからこそ、映画『正体』が投げかける問いは、より一層重みを増しているのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。