茂本ヒデキチ・香衣!父娘wikiプロフィール・経歴!【墨絵】

独創的な墨絵表現で世界的な評価を得ている茂本ヒデキチさん。アスリートやミュージシャンを躍動感あふれるタッチで描く彼の作品は、伝統的な墨絵の概念を大きく覆すものとして注目を集めています。

そして2024年、待望の父娘二人展を開催。娘さんとの共演でも新たな話題を呼んでいます。

本記事では、そんな墨絵アーティスト、茂本ヒデキチさんと、役者として活躍する娘の香衣さん、注目の父娘のプロフィール、経歴に迫っていきます。

この記事でわかること

この記事でわかること
  • 茂本ヒデキチさん・香衣さんのプロフィール
  • 茂本ヒデキチさんの経歴
  • これまでの活動
  • 代表作

墨絵アーティスト、茂本ヒデキチさん、そして娘さんの香衣さんについて興味のある方は、是非ご覧ください。

目次

茂本ヒデキチ・香衣のプロフィール

父:ヒデキチ

  • 生年月日:1957年6月16日
  • 年齢  :67歳(2024年 時点)
  • 出身  :愛媛県松山市
  • 高校  :松山北高校
  • 大学  :大阪芸術大学デザイン学科卒業
  • 現職  :大阪芸術大学デザイン学科客員教授

幼少期から転校が多かった茂本ヒデキチさんにとって、絵を描くことは新しい環境での友達作りの重要なツール。物心ついた頃から落書きで一人遊びを楽しみ、その才能は周囲との関係づくりにも一役買っていました。

学時代はバスケットボールに打ち込み、高校に入学しても特に美術への強い興味はありませんでしたが、無意識のうちに漫画やイラストを描き続けていました。

大学の絵画専攻では受験時に作品提出が求められるため、作品の無かった茂本さんはデザイン系を選択。入学後は一転して、対象を細部まで徹底的に描く細密画に熱中。

今の墨絵とは全く異なるタッチでしたが、この経験が現在の基礎となっています。

道具に対する独特の考え方も、茂本さんの作風を特徴づけています。

筆は新品を好み、大量に購入して使用。新品の硬さから使用による柔らかさまで、筆の状態による表現の違いを作品に活かします。一方で紙には非常にこだわり、中国の水墨紙「画仙紙」を愛用。

スポーツ選手に例えて制作過程を語る言葉も印象的。

「日頃の鍛錬が大切。墨を持たないで3、4日旅行すると、もう描けません。アスリートが一瞬の本番のために長い期間調整するように、絵もそのくらいの真剣勝負が求められます」という言葉からは、アーティストとしての真摯な姿勢が伝わってきます。

娘:香衣

  • 生年月日:1991年7月8日生まれ
  • 年齢  :33歳(2024年 時点)
  • 身長  :172cm(左利き)
  • 職業  :俳優

SNSでの発信も積極的に行う ・2024年6月に父・ヒデキチとの二人展を開催予定

茂本香衣さんは、墨絵アーティストとして知られる茂本ヒデキチさんの娘として生まれ、現在は俳優として自身の道を歩んでいます。

新橋の昭和ポップスバーRetroやラーメン店「十味や」でのアルバイト経験を持つなど、芸能活動の傍ら、様々な経験を積み重ねてきました。

5年前にはテレビ東京の人気番組「家、ついて行ってイイですか?」に出演。深夜の経堂で偶然スタッフに声をかけられ、そのまま本物の撮影となるという珍しい経験。そしてその5年後となる2024年11月24日には、父・ヒデキチさんとともに同番組に再登場。

前回出演時に語った尊敬する父親との共演を、2024年6月に果たした香衣さん。約束を果たせて安心したのでは?

彼女は、SNSを通じた情報発信にも力を入れており、Twitter、Instagram、YouTubeで日常の一コマや活動報告を積極的に共有。

クリエイターのためのオリジナルグッズプラットフォーム「SUZURI」でも作品を展開するなど、多彩な才能を見せています。

茂本ヒデキチさんの経歴

  • 高校3年生の体育祭での巨大画制作がきっかけで美術の道へ
  • 大学卒業後、デザイナーを経てフリーイラストレーターに
  • 墨との出会いが転機となり、独自の表現スタイルを確立

イラストレーターとしての活動に行き詰まりを感じていた時期、茂本さんは自分のアイデンティティを模索していました。

多くのイラストレーターが直面する「匿名性」という壁にぶつかっていたのです。

ポスターや広告に使用される作品も、誰が描いたものか明かされることは稀。さらには「今人気のイラストレーター風に描けないか」という依頼も多く、自分の個性を発揮する機会が限られていました。

そんな中、黒人をモチーフにした作品を多く手がけていた経験から、墨絵という表現方法に出会います。試しに墨絵の筆に持ち替えて描いてみると、思いがけず素晴らしい作品が生まれました。この偶然の出会いが、「墨絵アーティスト」という独自の立場を確立するきっかけとなったのです。

これまでの活動

  • 1985年 フリーイラストレーターとして独立
  • 1991年~ ミュージックマガジンの表紙を担当
  • 1993年 WOWOWで久保田利伸とライブペインティングで共演
  • 2007年 初の画集「NEO BLACK」を発行

上記以外にも、テレビ東京の「ASAYAN」という番組の新人発掘コーナーに、当時40歳前後だった茂本さんが挑戦したのも印象に残ります。

若者向け番組への出演に迷いはありましたが、「世界に自分の絵を発信できるかもしれない」という思いで応募。6000人もの応募者の中から選ばれ、これを機にニューヨークでの個展開催が実現しました。

NYでの展示では興味深いエピソードも生まれています。黒人男性を描いた作品について、現地の黒人たちから「なぜ俺たちばかり描くんだ?」と問われた茂本さんは、「君たちが東洋や日本の精神的な部分に憧れるように、僕は君たちの肉体的な美しさに惹かれているんだ」と答え、理解を得たといいます。

2013年11月、九州でのイベントを終えて帰京した直後、自宅で体調が急変。自力で近所の病院に行き、そこから世田谷の病院へ緊急搬送。診断は急性心臓弁膜症。しかし、その後の回復は驚異的で、わずか数ヶ月後の2014年3月には仕事に復帰。

第一弾としてサッポロビールの「軍師官兵衛」の墨絵ラベルを手がけ、周囲を驚かせました。

このような経験を経て、2017年には日本文教出版の高校美術教科書に「新しい墨絵」として掲載が決定。伝統的な墨絵に新しい息吹を吹き込んだ功績が、教育の場でも認められることとなりました。

ちなみにオリンピック開催時には毎回のように招待され、墨絵パフォーマンスを披露しているのも有名なエピソードです。

代表作

  • 羽田空港国内線ボーディングブリッジの81面アート作品
  • 松山城ロープウェー駅舎の作品
  • 坊っちゃん球場の作品
  • 「NEO BLACK」画集収録作品
  • 道後温泉の作品群

羽田空港の作品は、50年ぶりとなる外看板の設置として話題を呼びました。安全面での規制が厳しい空港での展示は、茂本さんの作品の質の高さを証明。

また、故郷・愛媛県の各所に残る作品群は、地域の文化的シンボルとしても重要な役割を果たしています。

まとめ

墨絵という伝統的な画材を用いながら、現代的な表現を追求し続ける茂本ヒデキチさん。

その独創的な作風は、国内外で高い評価を受けています。特に、ライブペインティングでの圧倒的なパフォーマンスは、多くの人々を魅了し続けています。

「理解できない芸術こそが偉い」とは考えず、誰もが感動できる作品づくりを心がける姿勢は、現代アートの新しい方向性。

そして2024年、娘の香衣さんとの二人展という新たなチャレンジ。

今後は茂本ヒデキチさんはもちろん、娘の香衣さん、そして茂本親子の活動から目が離せませんね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

管理人の0107(オトナ)です。

これまでの経歴
・営業・マーケティングの仕事歴30年
・海外での生活10年
・人間心理のエキスパート

自分を支えてきたあらゆる物・人への好奇心。そのアンテナに引っかかった情報を、斜め上からの視点、オトナの視点でまとめて行きたいと考えています。

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