静寂に包まれた8000メートルの世界で、なぜ彼はフィルムカメラを手に取るのでしょうか。2024年、日本人で2人目となる8000メートル峰全14座登頂を達成した石川直樹さん。その功績は、単なる登山記録ではありません。
都会育ちの写真家は、なぜ極限の世界を追い続けるのでしょうか。本記事では、本の世界から実際の冒険へと飛び出した少年が、写真家として、そして登山家として世界を見つめ続ける理由に迫ります。
- 石川直樹さんのプロフィール・学歴
- 石川直樹さんの家族(妻・子供)
- 石川直樹さんの経歴
- 有名なエピソード
- これからの予定
#NHKスペシャル
— NHKスペシャル(日)夜9時(土)夜10時 (@nhk_n_sp) November 17, 2024
8000mで見た生と死
写真家 #石川直樹 の記録
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世界に14座ある8000m峰全てに登頂した史上初の写真家・石川直樹。
極限を切り取った写真、そして自撮りの映像から彼が目の当たりにした生と死の世界を追体験する。
2024年、日本人として2番目となる8000メートル峰全14座登頂を達成した写真家であり冒険家、石川直樹さんについて興味のある方は、是非ご覧ください。
石川直樹さんのプロフィール・学歴
プロフィール
- 生年月日:1977年6月30日
- 年齢 :47歳(2024年時点)
- 出身 :東京都渋谷区初台
- 祖父 :芥川賞作家の石川淳
- 受賞歴 :さがみはら写真新人奨励賞(2006年)
三木淳賞(2006年)
土門拳賞(2011年)など多数
祖父・石川淳の書斎には、床から天井まで本が並んでいました。小学生の頃から、その書斎で多くの時間を過ごした石川さん。
父親からは「学校に行かなくてもいいから、その代わり本を読みなさい」と言われる、読書に没頭できる環境。そんな日常の一方で、石川さんを川遊びや低山歩きに連れ出す休日の日々。
本の世界と自然体験。この二つの要素が、後の人生を大きく変えることになります。
特に、カヌーイストの野田知佑さんの本との出会いは決定的。都会育ちの少年は、野田さんの描く自然や冒険の世界に魅了され、やがて自らも旅に出る決心をするのです。
学歴(高校・大学・大学院)
- 高校:暁星学園(幼稚園から高校まで14年間在籍)
- 大学:早稲田大学第二文学部 卒業
- 大学院:東京芸術大学大学院美術研究科 博士課程修了
高校への通学電車内、石川さんは沢木耕太郎の『深夜特急』を開きます。インドへ向かう著者の姿に、心は既に窓の外。
昼食時、同級生に「おかずを少し分けてくれないか」と頼み、浮いたお金を貯金。放課後は引っ越し会社でアルバイト。1ヶ月分の旅費を貯めるまで、この生活は続きました。
「学校には内緒で、インドとネパールに行ってきます」
両親にそう告げた高校2年生は、憧れのヒマラヤへと旅立ちます。
ガンジス川で目にした遺体、初めて見上げたヒマラヤの峰々。この体験は、都会で育った少年の価値観を大きく揺さぶることになりました。
そして、浪人時代、人生の岐路で出会ったのが野田知佑さん。本で読んだ憧れの存在に会いたい一心で、鹿児島の錦江湾の浜辺に寝泊まり。
そこで偶然、野田さんの知人に声をかけられ、ついに本人との出会いが実現。
「大学へ行け。それは君にとっての猶予期間になる」
野田さんのこの言葉が、石川さんの背中を押し、大学へ進学します。
早稲田大学入学後、石川さんは「学生」という身分を最大限に活用。1997年の夏には野田さんが下ったユーコン川へ。誰もが「怪しまない」学生の立場を活かして、次々と冒険の場を広げていきます。
そして大学在学中の23歳で、七大陸最高峰の最年少登頂記録を達成。
しかし、単なる記録づくりに満足できない思いが芽生えます。写真を撮り、文章を書く。その表現方法を深めたいという思いから、2003年、東京芸術大学大学院への進学を決意。
決め手となったのは、美術史家・伊藤俊治の著書『ジオラマ論──「博物館」から「南島」へ』との出会いでした。
登山や写真を単なる記録としてではなく、より深い表現として昇華させたい。その思いが、修士課程、そして博士課程まで進む原動力となります。
石川直樹さんの家族(妻・子供)
- 現在:独身
- 生活スタイル:年間100日以上をテント泊で過ごす
年間100泊以上をテントの中で過ごす経験もある石川さん。8000m峰の登頂を目指しながら、時には渋谷の路上でネズミを追いかけ、六本木の街角で人々の営みを撮影する。そんな独自のリズムが彼の生活ペース。
「新しい変化をなんでも受け入れます」
2017年のインタビューでの言葉から、結婚についても柔軟な考えを持っている?とも受け取れますが、現在の生活は冒険写真家としての生き方を選択。
取材で訪れた東川町で、子どもたちと同じ目線で語り合う石川さんの姿からは、結婚相手探しうんぬんではない、人との関わり方に対する独自の哲学も見えてきます。
縁があれば、ということになるのでしょうか?
石川直樹さんの経歴
冒険との出会い
- 中学2年:「青春18きっぷ」で野宿しながら高知県へ
- 高校時代:沢木耕太郎『深夜特急』との出会いでヒマラヤへ
- 大学時代:ユーコン川下り、七大陸最高峰登頂
中学2年生の夏、バイトして手に入れた「青春18きっぷ」を握りしめて高知県へ。坂本龍馬の足跡を追いかけ、駅のベンチで野宿をしながらの一人旅が、冒険の始まりでした。
その後の高校、大学時代は前述の通り、その冒険は世界的なスケールとなります。
こうして振り返ると、男の子の誰もがもつ幼少時代の純粋な冒険心、それを未だに枯らすことなく育て続けているのが石川直樹さんなのだと思えてきますね。
これまでの活動
- 2001年:初のエベレスト登頂(チベット側から)
- 2019-2021年:コロナ禍で渋谷のネズミを撮影
- 2022年:一年で6座の8000m峰に登頂
- 2024年:8000m峰全14座登頂達成
「写真家として、最初は8000m峰のうち、高い順に5座登って写真を撮ろうと思っていました」と石川さんは語ります。そういった場所で写真を残している写真家はいなかったからです。
そして、2011年から2019年まで、毎年のようにヒマラヤへ通う日々が続きます。
しかし、2019年からのコロナ禍で2年間、海外渡航がNGに。その間の石川さんは、渋谷の街でネズミを追いかけて撮影を続けました。
この経験は写真集『STREETS ARE MINE』として結実。極限の世界と都会の片隅、一見かけ離れた2つの場所で、彼のカメラは、その確かな眼差しを異なる対象に向け続けたのです。
2022年、コロナ禍が明けると、ヒマラヤで世話になったシェルパたちに連絡を取り始めます。「今度ダウラギリ行くけど、一緒に来たらどう?」。シェルパの誘いがきっかけとなり、その年だけで6座の8000m峰に登頂。
新世代のシェルパ、ミンマGとの出会いが、14座完登への新たな意欲を掻き立てることに。
「昔ながらのシェルパ像を彷彿する、ちょっと控えめなところもあるし、一方で主張するところはきちんと主張する。実に人間臭い、でも頼りになる人です」
IFMGAガイド資格を持ち、英語、中国語、ウルドゥー語をこなすニュータイプのシェルパ、ミンマGに、石川さん全幅の信頼を置いています。
#NHKスペシャル
— NHKスペシャル(日)夜9時(土)夜10時 (@nhk_n_sp) November 15, 2024
8000mで見た生と死
写真家 #石川直樹 の記録
世界に14座ある8000m峰全てに登頂した史上初の写真家・石川直樹。
極限を切り取った写真、そして自撮りの映像から彼が目の当たりにした生と死の世界を追体験する。
17(日)夜9時~[総合] pic.twitter.com/wloWx9MbVH
有名なエピソード
- カンチェンジュンガ:頂上を間違え、1週間後に再挑戦
- シシャパンマ:2023年の雪崩事故を経て、2024年に別ルートから登頂
「ノコギリの歯みたいな形をしていて、頂上がわかりづらいんです」
世界第3位の高峰カンチェンジュンガで、石川さんは頂上を間違えてしまいます。ほとんど登りきっていたものの、同じ日に登り直すことは不可能。一旦カトマンズまで下山し、1週間の休養後、再挑戦で無事登頂。
彼の「諦めない精神」を象徴するエピソードです。
2023年のシシャパンマ。アメリカ人女性初の14座登頂を目指すクライマーたちが雪崩に遭遇し、4名が命を落とします。石川さんも頂上直下まで到達していましたが、その時は断念を決意。
そして、2024年。18年ぶりに使われていなかったルートを選び、雪崩を回避しながらの慎重な登攀で、ついに登頂を果たしました。
「周囲を見渡して『ああ、ここより高いところはもうどこにもないな』と思ってほっとした」
シシャパンマ登頂後の率直な感想は、14座完登への執念を伝えるエピソードです。
これからの予定
- 子どもたちのための新しい学びの場づくり
- フィルムカメラでの撮影継続
- 火星のオリンポス山への関心
2022年10月、北海道上川郡東川町の農村環境改善センター。石川さんは子どもたちを前に、自身の写真や著書をスライドで紹介。マナスルから帰ったばかりで、頬には黒い凍傷の跡が残っていました。
「子どもたちがもっと探検しながら動き回れるような博物館と図書館と公園が一緒になったような場所があればいいな」
そう語る石川さんは、六本木のような都心でも、子ども向けの学びのフィールドづくりを構想。例えば、ミッドタウンの芝生広場でのテント泊。
- 「満月がこんなに明るいんだ」
- 「暗闇って怖いんだな」
- 「日の出を迎えると暖かいんだ」
そんな当たり前の体験の場を作りたいと考えています。
そして、フィルムカメラでの撮影継続へのこだわり同様、火星のオリンポス山への好奇心もメラメラと燃やしているようです!?
11/17 21時~NHKスペシャルで石川直樹さんの番組が放映されます。写真家として8000m峰全14座登頂は史上初、最新刊『チョ・オユー』に収められた景色も流れます。ぜひ写真集をお手元に置いてお楽しみください!
— 平凡社 (@heibonshatoday) November 15, 2024
👇(下記で中の写真が少し見られます)https://t.co/PckghzdvMahttps://t.co/h9tRWUscg5
まとめ
- 1977年生まれの47歳
- 2024年に8000m峰全14座登頂達成
- 写真家として、フィルムにこだわり続ける
「SNSのいいねは『どうでもいいね』のいいねだから、そこを目指すと写真がダメになっちゃう」
デジタル化が進む中、あえてフィルムカメラを選び続ける石川さん。それは、予定調和を排除し、世界との純粋な出会いを求める姿勢の表れかもしれません。
写真は「時を止める魔法のような、すごく不思議なもの」だと語る石川さんは、8000m峰で中判カメラを回し、路上でネズミを追いかけます。
「光がもたらした化学反応で像が浮かび上がるわけで、コントロールできない何かが写真には常につきまとう」
そう語る石川さんは、これからも意図しない偶然との出会いを求めて、世界を記録し続けていくことでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。